初めて姫路を訪ねたのは、大阪から山陽本線を使ってのことだったと思います。「御着」という名の駅に反応しないでもありませんでしたが、小学生時代の私には「なんにもない」お城になってしまった御着城の歴史的価値を見出すことができなかったのでしょう。そのまま通過して、宿泊地でもある姫路駅へと向かったのでした。
とはいえ、当時も今もお城に対する意識が大きく変わっているわけではないので、御着城を訪ねる気になったのはやはり「官兵衛さん」の存在が大きかったのでしょう。2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」で片岡鶴太郎さん演じる小寺政職は秀逸でした。実在の政職の鼻が赤かったのかどうかは存じませんが、ぼんやりしていた政職のイメージがあれで相当クリアになったのは事実です。「ここは思案のしどころよの~」という決め台詞もなかなか。
さて、現在の御着城は、公民館と城址公園となって、その本丸域が一応保存されています。私が御着を「通過」したのは昭和54(1979)年の夏だったと記憶していますが、実はこの頃御着城の発掘調査はあらかた終わっていて、碁石等の生活用品が出土していたようです。あの時訪ねていれば、生々しい発掘現場をこの目に焼き付けることができていたのかも。



御着城は、小寺官兵衛(後の黒田孝高(如水))を見出した小寺氏の本城でした。発掘調査の結果からはさらに古い時代の武家館らしきものの存在が窺えるようですが、歴史的にはっきり辿れるところとしては小寺政職の祖父・政隆が永正16(1519)年に築いたのが始まりということになるようです。そうだとすれば御着城は小寺氏三代・50年余に亘る歴史を有していたことになります。
現在は平たい場所にも見えますが、一応ここは小丘になっていて、小丘の頂部に造られた主郭を中心に複数の郭からなる、そこそこ大きな城郭だったようです。英賀城、三木城と並んで「播磨三大城郭」と称されていたこともあったようですし。
御着城は、官兵衛を見捨てて毛利方に走った小寺政職が天正5(1575)年に城を追われたことでその役割を終えます。それからおよそ200年後の宝暦年間に描かれた図面によれば本丸には内堀が巡らされ、二の丸の外側には三重の堀があったことがわかるのだとか。確かにそれは大城郭の風情ですね。