人間の本質は魂だと聞く。

そう理解してるつもりだけど

魂、って思うと私には捉えづらい。



そんな中、今日は

人間の本質は『気配』だよな…

と思ったら、とてもしっくり来た♪



ひとを見て、

この人は どんなひとかな?と感じるとき

注目しているのは、気配・醸し出す雰囲気だ。



気配だけでは

他者とのやり取りや

経験をしづらいから

身体という、器を貰って

やって来ている。



旅を終えたときには器は返却し、

カタチのない、気配 に戻る。



おばけくんおばけくんおばけくん




あと、もうひとつ忘れないようにメモ。

今日の気付き。



今朝、父を病院へ送る車の中。

父は今日も、自分の身体の不調について

「どうして今日はこんなに調子が悪いのか…」

とブツブツ言っていて。


今日は…って言うけど、毎日じゃん。

壊れたレコードのように(例えが昭和)

毎日このセリフを言っている

という自覚がないのが不思議。



でも今日はそれを聞いても苛々することはなく


なぜ私は今日も父からコレを聞かされているのだ?とぼんやり考えていたら


分かったよ。



私は自分の身体的不調よりも

こころの不調に注目する癖がある。

こころの状態に注目しすぎて

これじゃダメ、もっと整えなきゃ…と


いつも、どこかで

自分のこころの現状を責めている。




「どうして今日はこんなに身体の調子が悪いんだろう?」

↑父が毎日いうセリフ。


要支援の状態ではあるが

年齢なりの不調は、あって当然だ。

畑をやれて、庭にも出れて、充分じゃないか。

好きなことを出来ているじゃないか。


その身体の不調に注目しすぎるから

次に創られる現実も、身体が不調な現実なのだ。



私に置き換えると


「どうして私のメンタルは今日も低空飛行なの?もっと良い状態を望んでいるのに」


充分に自分らしく暮らせているのにね?

満足しても良い状態なのにね?


わるくはないけど低空飛行でイマイチな状態

…と自分のことを捉えているから

次に創られるのも、そのとおりの

わるくはないけど何か足りない現実。




現状に満足しない癖

自分の現状をディスる癖


これが父と私の共通癖だわ。凝視



私がそのことに気づくように、

父は毎日それを言う役をつづけてくれている。




他者と比べてるわけではなく

長年の癖でナチュラルにやってしまっている、

ちょっと分かりにくい自己否定。




この事に納得できたら

ここもクリア✨だ。

この癖も辞められる。



また1枚、軽くなれる。