側からみれば何もしてないように見えるとき、実は、とても大切なことを味わっている最中なのかもしれない。



… … …



何か心が動く出来事があったとして


写真に撮っておこう(後から見返そう、誰かに見せよう、SNSにあげよう)など思うのは


つまり、

今その出来事が目の前にあるのに

それを味わうことから早々に意識を逸らし

次のことに意識が向いている 


ってことじゃないかと、思った。




心動く何かが今、目の前にあるのに

自分は、今ここ にいない。




なんて もったいない!


望む現実をつくっていくときに

今ここの感情は何より大切なのに。



写真を撮ること自体に心躍ったなら

それはそれで良いけど

大抵の場合、そうじゃないのでは?





これからは


写真に撮ろう、の前に、まず存分に味わおうと思う。


撮るのが目的ではない。

そんなのは、ほんのオマケ。



その光景に出会って

心が動いた


それをしっかり味わう。



映えるスポットとか世の中いろいろあるけど

それって、何かに振り回されてるよね?


… …


わたしは何か気づきが起きたとき

忘れないようにブログに書き留めよう

としてしまう(ノートだと書く気が起きず)

のだけど

この習慣にも、同じことが言える。


気づいた時の喜びをしっかり味わうより先に

「忘れてしまわないように」という、

不安発の動きをしてる…真顔



書き留めたところで忘れるものは忘れるし、

後から読み返して思い出したとしても


気付きが湧いた瞬間の喜びは、

もう そこには無い。





そこ、変えてみる。




冬の間に姿を消し、何を植えてあるか忘れてた。

何か分からない葉っぱに水をあげつづけて

咲いてみたら、ダリアだった。可愛い✨