ムスメがヘアスタイルを変えた。

可愛く、大人っぽくなった。


とても似合っているし、

注文の多いムスメの要望どおりだし、

さすがプロだなぁと感心。

(私も切ってもらってる美容師さん)

中学生料金なのが申し訳ないくらいの満足度。




家に帰って

鏡の前で嬉しそうにしてるムスメを眺めつつ

写真も撮ってあげつつ


可愛い!似合う!と横から絶賛しながら

夕食の準備をし始めたら


子供時代のワタシの、残っていた感情が


ムクムクと湧いて出てきた。


これは、しっかり感じてあげると良いやつ。


ムスメのことが羨ましくなったんだな。




私の育った家では

ヘアスタイルを変えたり、

いつもと違う感じの服を買ったりすると

まず父から『何なの、それ』みたいに半笑いで言われ

兄からは『似合わない』と言われるのが

常だった。

いま思えば、真意だったわけじゃなく

障害ゆえの?または照れ隠しの?言動だったかもしれない。

けど、そんなことは子どもだったワタシには関係ない。



悲しかったね、昔のワタシ。



母は、けなしたりはしなかったけど

いつも私が言って欲しい事とはズレてたなー。

(それは今も変わらない真顔




ムスメは恵まれてるなぁ。


せっせと恵まれた環境に

整えてるのは他でもないワタシニコニコ

自分が欲しかったものを与えてる。




親と兄への怒りは通過済みなので、

今はただ


悲しかったなぁ

一度くらい家で

可愛いとか言ってもらいたかったなぁ


という感情だけが、しみじみと 湧いた。


大人の私が、ただただ

その気持ちに寄り添ってあげていたら


キッチンで

ムスメ リクエストのお好み焼きを焼きながら


なんか泣きたくなった。



子どものワタシ、少し癒やされたかな。





用件は通じる。

こころは通じない。


それが私の家族だった。

弟は、心も通じた唯一の家族.





その環境だったから、現在の私は


言葉の奥の

心の やり取り を切望する気持ち、



見えない部分で(エネルギーで)

コミュニケーションしたいという感覚


をハッキリ自覚できている、と思う。




今世の望みを知るには

そういう環境が必要だったということ。