鳥取城!!!~その3. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

↓天球丸_虎口
天球丸_虎口
いよいよ山下ノ丸の最高所である天球丸跡へ。
階段登って右手が風呂屋御門跡。

↓天球丸
天球丸
天球丸左の曲輪より天球丸跡を見る。
風呂屋御門跡も見えた。

↓天球丸からの眺望
天球丸からの眺望
表御門跡を挟む両脇の石垣。石垣上に登るための雁木も見られる。

↓天球丸跡_説明
天球丸跡_説明

山麓の最高所に暮らしたという事から、天球院殿おばあちゃんが鳥取において特別な存在だった事が窺える。


天球院殿は山崎家盛の夫人だったが、離縁ハートブレイクののちは弟・池田長吉のもとに寄寓し、光政の時この曲輪で暮らした。

ここで天球院という人物について深掘りしてみた。。

何と、恒興の子で輝政の妹やないかビックリマーク(長吉も弟)
いわゆる猛女で、関ヶ原まえ、石田三成による大坂の妻女人質未遂事件の際、自分を蔑ろに扱おうとした夫・山崎家盛にブチ切れ、刀を突き付けナイフて「お前殺して私も死ぬビックリマーク」と言ったとか言わないとか。。ガーン

その後、戦雲が高まるなか大胆にも兄・輝政のいる三河吉田城まで逐電し、夫に離縁を叩きつけた。
この時、城内で乱心者ニヒヒに襲われたが、姫があっという間にその者を打ち殺してしまったという。ガーン 

元和年間、甥(長吉の子)が左遷され、姪孫の池田光政男の子が姫路から鳥取へ来ると、光政に慕われた天球院は鳥取城に住まうようになった。

京都にある寺院・天球院を、叔母のために建てたのも光政だ。

※ ※ ※ ※ ※

↓天球丸からの眺望2
天球丸からの眺望2
おにぎりか何かおにぎり買っておけばよかった、ここで食べれたのにィ。ショボーン

↓天球丸からの眺望3
天球丸からの眺望3
鳥取市の市街地。
すぐ下には菱櫓跡が見える(石垣の先端)。

↓天球丸からの眺望4
天球丸からの眺望4

↓天球丸の雰囲気
天球丸の雰囲気

天球丸東側隅には三層の櫓があったが、享保5年の大火メラメラで焼け落ち、その後は再建されなかった。

幕末には武術の道場、蔵などがあった。


↓山上ノ丸への登り口
山上ノ丸への登り口
山麓の石垣だけで、もはやお腹一杯よだれ。疲れてきた。時間も食った。

この旅、余裕ができたら鳥取砂丘へ行く事も考えていたが・・・

やはりここまで来たからには、山上ノ丸も見てみたい。

↓八幡宮跡
八幡宮跡
ここは整備中のようやな。

↓三合目
三合目
おいおい、まだ三合目かよ~!ショック

久松山の標高は263m(天球丸が37m位)。等高線を確認すると、山の南側はかなり急峻になっている。しんどさの理由はそれか。。

↓六合目
六合目
ハァハァ(;´Д`)。。
もう汗だく驚きやで。しんどい~ビックリマーク

はてなマーククマ🧸出るのはてなマークマジかよ~ビックリマーク

↓ヒキガエル科
ヒキガエル科
こんな山のなかにカエルカエルおったで。

↓クルマダリア群生
クルマダリア群生
しばし心が癒された瞬間。おねがい

↓山上ノ丸石垣
山上ノ丸石垣
しんど。オエー
月山富田城跡より数倍キツイやん。

ようやく見えてきたわい。

↓分岐点
分岐点
本丸と山上二ノ丸の、中間地点に出たらしーな。

↓本丸虎口
本丸虎口
虎口は左の方へ曲げられとるな。
攻め手がまっすぐ突進できない作り。

↓鳥取城跡_説明
鳥取城跡_説明
山下ノ丸は近世の城、山上ノ丸は中世の城である。天文年間に但馬山名氏の付城として築城されたとされる。

従って世に名高い「鳥取の渇え殺し」(織田と毛利の対立から、羽柴秀吉vs吉川経家で戦い、兵糧攻めで秀吉が勝利)。あの戦いは鳥取城が山上にあった時期に行われた。


↓山上ノ丸_案内図
山上ノ丸_案内図
三ノ丸とか出丸は行ってないなー。

↓二ノ丸石垣
二ノ丸石垣

↓二ノ丸から見る本丸石垣
二ノ丸から見る本丸石垣

本丸虎口付近には月見櫓があった。


↓二ノ丸跡
二ノ丸跡
さびれた建物は休憩所。

↓二ノ丸からの眺望
二ノ丸からの眺望
ほぼ南方向。
左の山は八坂山城跡。右手の山のどっかに鵯尾城跡がある。

↓本丸への石段
本丸への石段
では、いざ本丸に突入しよう。

↓本丸跡
本丸跡
山頂なのに平坦地が広め。削平もしてるやろうけど、そこそこの人数がこもれる。城を構えるにはうってつけやん。

↓本丸からの眺望1
本丸からの眺望1

コンパクトな小山が二つ、南南東か。


↓本丸からの眺望2
本丸からの眺望2
南西方向。
鳥取の市街地が広がる。

↓本丸からの眺望3
本丸からの眺望3
西方向。
ちょっと曇ってきたけど、いい眺めだ。



つづく。。。