↓天球丸_虎口
いよいよ山下ノ丸の最高所である天球丸跡へ。
階段登って右手が風呂屋御門跡。
↓天球丸
天球丸左の曲輪より天球丸跡を見る。
風呂屋御門跡も見えた。
↓天球丸からの眺望
表御門跡を挟む両脇の石垣。石垣上に登るための雁木も見られる。
↓天球丸跡_説明
山麓の最高所に暮らしたという事から、天球院殿が鳥取において特別な存在だった事が窺える。
天球院殿は山崎家盛の夫人だったが、離縁ののちは弟・池田長吉のもとに寄寓し、光政の時この曲輪で暮らした。
ここで天球院という人物について深掘りしてみた。。
何と、恒興の子で輝政の妹やないか(長吉も弟)
いわゆる猛女で、関ヶ原まえ、石田三成による大坂の妻女人質未遂事件の際、自分を蔑ろに扱おうとした夫・山崎家盛にブチ切れ、刀を突き付けて「お前殺して私も死ぬ」と言ったとか言わないとか。。
その後、戦雲が高まるなか大胆にも兄・輝政のいる三河吉田城まで逐電し、夫に離縁を叩きつけた。
この時、城内で乱心者に襲われたが、姫があっという間にその者を打ち殺してしまったという。
元和年間、甥(長吉の子)が左遷され、姪孫の池田光政が姫路から鳥取へ来ると、光政に慕われた天球院は鳥取城に住まうようになった。
京都にある寺院・天球院を、叔母のために建てたのも光政だ。
※ ※ ※ ※ ※
↓天球丸からの眺望2
おにぎりか何か買っておけばよかった、ここで食べれたのにィ。
↓天球丸からの眺望3
鳥取市の市街地。
すぐ下には菱櫓跡が見える(石垣の先端)。
↓天球丸からの眺望4
↓天球丸の雰囲気
天球丸東側隅には三層の櫓があったが、享保5年の大火で焼け落ち、その後は再建されなかった。
幕末には武術の道場、蔵などがあった。
↓山上ノ丸への登り口
山麓の石垣だけで、もはやお腹一杯。疲れてきた。時間も食った。
この旅、余裕ができたら鳥取砂丘へ行く事も考えていたが・・・
やはりここまで来たからには、山上ノ丸も見てみたい。
↓八幡宮跡
ここは整備中のようやな。
↓三合目
おいおい、まだ三合目かよ~!
久松山の標高は263m(天球丸が37m位)。等高線を確認すると、山の南側はかなり急峻になっている。しんどさの理由はそれか。。
↓六合目
ハァハァ(;´Д`)。。
もう汗だくやで。しんどい~
えクマ🧸出るのマジかよ~
↓ヒキガエル科
こんな山のなかにカエルおったで。
↓クルマダリア群生
しばし心が癒された瞬間。
↓山上ノ丸石垣
しんど。
月山富田城跡より数倍キツイやん。
ようやく見えてきたわい。
↓分岐点
本丸と山上二ノ丸の、中間地点に出たらしーな。
↓本丸虎口
虎口は左の方へ曲げられとるな。
攻め手がまっすぐ突進できない作り。
↓鳥取城跡_説明
山下ノ丸は近世の城、山上ノ丸は中世の城である。天文年間に但馬山名氏の付城として築城されたとされる。
従って世に名高い「鳥取の渇え殺し」(織田と毛利の対立から、羽柴秀吉vs吉川経家で戦い、兵糧攻めで秀吉が勝利)。あの戦いは鳥取城が山上にあった時期に行われた。
↓山上ノ丸_案内図
三ノ丸とか出丸は行ってないなー。
↓二ノ丸石垣
↓二ノ丸から見る本丸石垣
本丸虎口付近には月見櫓があった。
↓二ノ丸跡
さびれた建物は休憩所。
↓二ノ丸からの眺望
ほぼ南方向。
左の山は八坂山城跡。右手の山のどっかに鵯尾城跡がある。
↓本丸への石段
では、いざ本丸に突入しよう。
↓本丸跡
山頂なのに平坦地が広め。削平もしてるやろうけど、そこそこの人数がこもれる。城を構えるにはうってつけやん。
↓本丸からの眺望1
コンパクトな小山が二つ、南南東か。
↓本丸からの眺望2
南西方向。
鳥取の市街地が広がる。
↓本丸からの眺望3
西方向。
ちょっと曇ってきたけど、いい眺めだ。