先日2022年8月20日(土)米海軍厚木航空施設(厚木基地)で盆踊りがあり、誰でも入れるとのことで、小田急大和駅から相鉄線に乗り換えさがみ野駅で下車、歩いて20分のところにある厚木基地に行ってきました。米海軍厚木航空施設と海上自衛隊厚木基地と両方がある。
ところが、身分証明書が必要とWEBにあったので、運転免許証を提示すると、マイナンバーカードか、運転免許証の場合は住民票もいると。WEBには身分証明証しか書いてないというと、あると。結局諦め。再度みると広告をはさんで下の方に記載があった。まあ、場所だけわかったのでまあいいかという感じ。帰りは基地正門のバス停から相模大野駅へ、海老名駅との間でバスが運行していることもわかった。
2008年9月25日、この日、米海軍横須賀基地に初の原子力空母ジョージ・ワシントンが入港した。非核3原則の日本に、原子力空母が寄港する、そして母港化することに疑問を持っていた。しかし、日本での報道はそんなに大きくなかった。同じ日に小泉純一郎が政界引退を発表し、当日のニュース、また翌日以降のワイドショーも含め、その話題ばかりだった。あえて原子力空母の話題を消すために、同じ横須賀市を選挙区とする小泉純一郎がその日に政界引退を発表したのではないかと思った。
調べると空母は1973年から母校化が始まり、空母の母港を海外に置いたのは、横須賀が初めてのことだと。来年で50年になり、現在も海外で唯一海外に母港を持つ基地とのこと。現在は、ロナルド・レーガンが横須賀基地にいる。ロナルド・レーガンは2015年10月1日に入港している。
2008年9月25日の、原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀基地寄港、母港化に疑問を持っていた私は、2015年10月1日入港後の2015年10月18日(日)三笠公園で行われたピース・フェスティバル’15に伺った。制服向上委員会(ダッ!ダッ!ダッ!脱原発の歌で知られれる)など参加していた。私は、2011年東日本大震災、福島原発事故の後の2012年横浜で行われた脱原発世界会議で知ったが、今回3回目だった。
と同時にせっかくの機会なのでYOKOSUKA軍港めぐりに参加した。これは、誰でも参加できるもので、人気のツアーである。その案内人も明るく、基地の負の側面をまったく感じさせないような説明だったことを覚えている。そしてドブ板通りを歩くと、バーガーの商品名にジョージ・ワシントンとロナルド・レーガンがあったのを覚えている。
その後、米空軍横田基地にも反対集会とその後のツアーに参加させていただいた。横田基地は、福生市、西多摩郡瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市の5市1町にまたがり、世界の中でも首都に外国の基地がある唯一の基地と言われている。五日市街道が基地のために曲がっていることや、オスプレイが何機も離発着していることなど伺った。ここにも航空自衛隊横田基地も併設されている。
座間キャンプの前は別の用事で行った時、前を通ったことはある。
在日米軍のことを知っている方はどれぐらいいるのだろうが? 主なもので、以下のものがある。
陸軍ー座間
海軍ー横須賀、厚木航空施設、佐世保
空軍ー横田、三沢(青森県)、嘉手納(沖縄県)
海兵隊ー岩国(山口県)、普天間、キャンプシュワブ、キャンプハンセンなど
10年ほど前、岩国市長をされた井原勝介さんのお話を伺ったことがある。さまざまな経緯はあるが、2010年に騒音対策のため滑走路を沖合に移設、しかし、その後米軍再編の中でその沖合滑走路のある岩国基地に厚木基地などの夜間離発着訓練(NLP)の移設の動きに大使、住民投票を実施するなど尽力された。しかし、その間政府からの地方交付税交付金の大幅削減などされたことを伺った。
長崎にいるとき、佐世保に艦船が寄港すると長崎にまで、多くの米軍人が遊びにきていた。
1996年フィリピン・オロンガポのシェイ・カレン神父(アイルランド人)と子ども買春反対の講演のため沖縄へ伺ったことがある。嘉手納基地が見下ろせる「安保の見える丘」や、通信施設である「象のおり」などを見た。また、金武町長と面会され、基地撤去のあとのプランなども話された。
オロンガポはかつてスービック海軍基地があったところで、アンヘレスにあったクラーク空軍基地とベトナム戦争の最前線基地だったところだ。NGOや教会が中心となった基地反対運動の中で(賛成派も基地を置くかわりに援助をと日本とは逆である)、上院で91年に議長裁定で米比軍事条約延長を否決した。そして、91年のピナトゥボ火山の噴火によって返還が早まり、92年クラーク空軍基地に続き、スービック空軍基地も撤退する。その基地あとは、台湾はじめ多くの企業が進出している。
その後、中国の南沙諸島への侵攻もあり、寄港協定(VFA-Visiting Force Agreement)が結ばれたりしたが、その時Junk!VFA(VFAをゴミ箱に)という運動もあったりした。その中心になったのが、Nuclear Free Philippine Coalitionである。私はNNAF(ノーニュークスアジアフォーラム)でも代表のローラン・シンブランフィリピン大学教授やコラソン・ファブロス事務局長(弁護士でもある)にもお会いしたことがある。
スウェーデンに留学し、平和研究の中心は軍事研究であることを認識し、少しでも実態を知りたい、否知るべきだと思っている。今の東アジアの情勢で米軍基地がすぐなくなるとは思わないが、今後東アジアの軍縮の中心を日本が担うべきだし、その結果として米軍の削減(とりわけ沖縄の海兵隊を中心に)が実現し、その先に永世中立宣言が見えてくると思う。自衛隊を非軍事の災害救助隊、非軍事の国際平和協力隊と分割し、軍事費は半分に。つまり、非核・軍縮から衛星中立・自衛=軽武装永世中立へである。若き日に出会った田畑忍先生の「永世中立なくして日本の平和はない」である。










