今日2022年5月8日(日)池袋の東口徒歩7-8分のところに約2年前に次々と建てられた3つのビルのひとつHAREZA(豊島区民センター)の8階多目的ホールで「沖縄返還50年 基地の集積地を押しつけ続けられる沖縄は日本なのか 日本は本当の独立国なのか」(日本社会連帯機構主催)があり、約500人の参加があった。高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表)や内村千尋さん(不屈館館長)ら、またビデオで謝花悦子さん(わびあいの里理事長)や山城博治さん(ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会共同代表)が参加された。不屈館は米軍政下で那覇市長に、復帰後国会議員になった瀬長亀次郎さんと民衆の資料館で、瀬長さんが那覇市長になったあと、米軍がお金をストップした際、人々がお金を市役所に持参した。また、わびあいの里は伊江島で反戦平和を唱え続けた阿波根昌鴻さんが設立された会でる。非暴力を唱える運動は沖縄のガンジーと言われている。
私が、沖縄に関心を持ったのは、95年9月4日の米兵による少女暴行事件である。沖縄県民大会で当時高校生だった中村清(すが)子さんが「基地のない平和な島を返してください」とのメッセージが今でも心に残っている。その当時子ども買春反対の運動に関わっていて、フィリピン在住のシェイ・カレン神父(アイルランド人)をお招きして、沖縄でも講演会をしていただいた。私も通訳兼ねて初めて沖縄に行った。高里鈴代さんらのグループなど主催で講演会が実現した。
また、ケニヤ、スウェーデンから帰国し、東ティモールの運動に92年から関わっていたが、92年秋、ベロ司教のノーベル平和賞推薦を提案し、会の代表がオーガナイズされ、93年94年95年そして96年に四回目のトライで、ベロ司教とラモス・ホルタ氏の受賞が実現した。97年1月ラモス・ホルタ氏の来日の際、ノルウェー大使館でレセプションをしていただいたが、その打合せの際、ノルウェー大使館の方から、ノルウェーノーベル委員会が佐藤栄作にノーベル平和賞を授与したことを後悔していることを聞かされた。その佐藤栄作(当時)が沖縄返還に署名したが、核も基地もない沖縄を希望する沖縄に対し、核抜き本土並みとしたが、緊急時には核の持ち込みを認めたという密約があった。佐藤栄作をWikipediaで検索するとそのことが、記されている。
沖縄の歴史ー薩摩侵略から1872年の琉球処分という日本統合、そして沖縄戦、さらに米軍統治下での様々な事件ー戦後まもなく由美子ちゃんという幼い女の子が殺されたことも知った。昨日玉城デニー知事が、辺野古基地の断念など4つの建議書を発表した。10日にも情況して首相に手渡したいとのこと。72年の返還前当時の屋良朝苗知事が建議書を持って上京したが、直前に国会で基地を残したまま返還をするという法案が教皇採決されている。
沖縄の自然や音楽、文化などもいろいろ知ることができた。ジュゴンのことも知り、三重県の鳥羽水族館にジュゴンを見に行ったこともある。ウルトラマンの脚本を書いた沖縄出身の金城哲夫さんのことも知った。音楽も、BEGINやThe Boomなどー島唄に関しては2-3日前NHKでその経緯など話されていた。芭蕉布という歌、芭蕉布そのものも知った。日本の古典音楽はファとシがないが、沖縄音階はレとラがないことなども。琉神マブヤーもよく見ていた(沖縄とTokyo MXTVで放映)。その主題歌を歌うDiamantes(スペイン語でダイヤモンド)のボーカル=アルベルト城間は日系ペルー人だが、以前テレビで奥さんのお父さんは米軍関係なのだが、子どもが空を見上げた時、軍用機を怖がったという。それで生まれたのが「この青い空を君に」という歌である。最近では、上間綾乃もいりいろ聞いた。一度横浜まで行ったこともある。彼女の歌に「声なき命」という歌がある。美しい海岸が埋め立てられ、滅びゆく自然を歌った歌だ。さらに最近ではChuning Candyのダイナミック琉球のお薦めです。その中のちむどんどんmix verが。
全国にある約70%が沖縄に集中している。地位協定もドイツやイタリアなどと比べても日本だけが米軍の言いなりだ。そのうち約6-7割が海兵隊だと。海兵隊の主要な基地はアメリカに2か所あるらしいが、日本に置くほうが安上がりだと。普天間を閉鎖しても他の海兵隊の基地はまだあり、辺野古の新基地などひつようないのでは。
将来的には沖縄独立とかいろいろ議論はある。私は日本の永世中立宣言を主張するが(田畑忍先生がずっと主張されてきた。私は若き日に出会った。)、仮にそれに時間がかかるとしても、辺野古新基地の断念、日米地位協定の改定、沖縄の米軍基地の軍縮などはすぐにもでも実現できるのではないか。日本の中で平和を愛する人々、憲法を支持する人々が地方自治体で与党となっているのは、沖縄くらいではないか。
問われているのは、私たち日本人である。
