第701号十七条城 | 城 新 聞

城 新 聞

-Japanese castle press-
Trying to find dreams are more precious!
I walk to the horizon and there I find another,
It all seems so surprising and then I find that I know.

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 築城年代は定かではありませんが「新撰美濃志」という文献によると南北朝時代の1336年から1350年ごろに土岐頼貞の子、船木頼胤によって築かれたとされています。
 大垣城から8kmほど北東に犀川沿いに西浦の城山と呼ばれる低い丘に位置した平山城で、現地案内板によると東に大手門、西に馬場を備え、曲輪は、本丸を囲むように南西に二の丸、東に三の丸、北側に北の丸が配置された輪郭式だったようです。
 その後、二階堂氏や仙石秀豊、和田利詮が居城とした時期を経て、享禄年間の1528年から1532年間には林正長が居城として改築したとされます。しかし、林正長の嫡男、玄蕃は1562年に西美濃に侵攻した織田信長との合戦で討死したため、弟の林正三が後を継ぎ、1578年に逝去するまで城主を務めたされます。
 正三の子は稲葉重通の養子になって、春日局(お福)と結婚。稲葉正成と名乗り、1万石を治めました。そして正成と春日局の子たちは、三男正勝は、老中となり小田原城主に、さらに正勝の弟、正定が尾張徳川家に出仕し、十七条村で1千石を治めましたが、孫に嗣子がなく1675年に家が断絶、城は廃城となりました。

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 現在、城跡の北側に熊野神社が建立されており、熊野神社に案内板がありました。さらにそこから南へ行った曲輪跡と思われる一段高い民家内に標柱があるそうで、ここが主郭跡とされています。

【近隣の高校】
岐阜第一高等学校

 通称「一高」。今年で創立57年を迎えました。
普通科にカレッジコース、スポーツコース、普通コース(2年生からは、進学専攻、総合専攻、情報専攻)の3コース、工業科に自動車工学コース、電子機械コースの2コースが設置されています。
 また、県内の私立高校では現在唯一工業科設置校だそうです。
 2016年度より、男子校から男女共学化となりました。
 スポーツも盛んで多くプロ野球選手を輩出、
共学化に伴い、女子硬式野球部も設立。また、女子バレーボール部は2018年、高校総体出場しています。
 国際交流が盛んで、毎年モンゴルやタイ・韓国・オーストラリアなどからの留学生を受け入れ、柔道部ではモンゴルの留学生が全国大会に出場した実績もあるそうです。
 校舎の敷地は糸貫川の沿線にあり、もともと旧糸貫川の廃川跡地であり、また、1951年には北方公認競馬場が開設された場所でもあったそうです。