君の名は。見てきました。
とてもよかった。

このよかった、という感想を、言語化した時に、世間で言われる青春恋愛要素や描写の美しさ、radwimpsの音楽の良さ、そこに集約されるかというと、個人的には違う受け止め方をしていた。

思い当たったのが、彗星災害と3.11の連想だ。
物語の中でも、彗星災害は3.11東日本大震災を下敷きにしているような描写がある。たとえば、最後のシーンは彗星災害から5年後の日本が舞台で、これは2016年の震災5年後の日本と符合する。


主人公たちは、運命に抗い、彗星災害を最小限の被害にとどめようと奮闘する。そうした「全体の物語」の視点がベースにあり、焦点化される形での瀧、三葉の恋愛ストーリーなのだと思う。

二人は互いに強く惹かれあうけれど、決して自分たちだけが逃げのびようとしない。糸森の街をなんとかして救おうとする、その気持ちには何の迷いもない。そうした清純さ、まぶしさが、あの日震災の時、何もできなかった現実の僕たちの無力さ、無念さを、少しでも晴らしてくれる気がする。過去を改変し、未来を変えていく。そんなことは物語の中でしかできない。でも物語の中だからこそ、せめてハッピーエンドであってほしいし、その思いを具現化してくれた本作に、僕たちは喝采を送るのだ。


今の中高生たちに熱い支持を受けているという本作だが、5年前、テレビ越しに、あるいは実際に揺れを体感して、震災の影響を受け取ってきた世代に当たるわけで、大きな災害の前になすすべもない無力感、無常観というものが空気のように広がっているのだと思う。そうした不安も、爽やかに晴らしてくれるのが「君の名は。」なのだ、といえば、いいすぎだろうか。


主人公の瀧たちは、彗星災害の記憶も薄れていて、なぜあのときあんなに必死だったか、その感情さえもぼんやりとした感覚で失いつつある。僕たちも、いたましい惨事の記憶が少しずつ風化して、思い出せなくなっていることがある。それは、現実を風刺しているようでもある。


多面的な視点から掘り下げることができるのが本作の魅力だろう。僕も、また劇場に足を運んで、新たな発見をしたいと思う。