民間療法 西周(にしあまね)(おぎゅうそらい) | 白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 38年の軌跡

白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 38年の軌跡

私が過去に体験したことや、日々感じたこと等を綴っていきます。
37歳の時に前縦隔原発性腺外胚細胞腫瘍非セミノーマに罹患しました。ステージⅢB
胸骨正中切開手術による腫瘍全摘、シスプラチン他の多剤投与後、ミルクケアを5年間実践して38年経過しました。






小林秀雄によれば西周は病で寝ていた時、軽い気持ちで「荻生徂徠」の著作を読み、実学への開眼を得たということです。


当時「書物」は正座をして読むのが作法で、寝ながら読んでよいのは絵草紙などの下世話な物に限られていました。

当時の武士の聖典は朱子学であって、【官学】とよばれていました。
対して徂徠などの学問は、【私学】【民学】とよばれました。

それはちょうど医療の世界で、厚生省認可の官製医療が【標準治療】とよばれ、在野の治療法が【民間療法】とよばれているのとよく似ています。

さらにこの【標準治療】が絶対に正しい療法と思われている現状は、官学の朱子学が絶対に正しいと思われていたのとそっくりです。

社会が構造的にもっている根拠なき偏見と、無反省および無意識的な差別感は、徂徠の書が大道から外れた異端の書であると決めつけていました。
ですから西周も気楽な気持ちで徂徠を読んだのでしょう。


ところがここには若き西周が驚くような【事】の本質が表されていたのです。似た者は互いに引き合うといいますが、西周は徂徠にいまだ知らぬ自分の姿を見たのだと思います。
人の見るものは遂にはみづからの姿だけで、善きにつけ悪しきにつけ自分以外のものを見ることは不可能です。
西周は真理に至る道を官学の中にではなく、私学の中に発見したのです。







朱子学は「理を窮めて真理を得る」というもので、一見もっともらしい説ですが、真理は頭で学んで得られるものではなく、一個の人間が全身全霊を以て事に没入しなければ、決してその姿を見せることは有りません。

闇夜に腹這いになりながら、手探りで道とおぼしき所を行ったり、わが身の背丈よりも高い薮の中を、一本ずつかき分けて行くように、不安と恐怖を背負って行くようでなければ、人の道を行くこともその道を整えることもできないと思います。。
歴史上の多くの賢哲はみなこの道を辿ったことでしょう。

朱子学の理を窮めるという行き方は、ともすれば獣道に迷い、さらには迷っていることにも思い至らぬ本当の獣に堕ちてしまうかも知れません。

事実朱子学を公式の学問とした武家社会は形式主義に堕し、それ自体が概念化して砂上の楼閣となり、洪水のごとくに襲来した西洋の文物に、土台ごと流され崩壊しました。






ガン治療に関して官製の【標準治療】は論理的構造性を有し、エビデンスも備えています。いやその様に見えるといった方がよいでしょう。

しかしその論理が正しいとするなら、何ゆえ五年生存率が100%ではないのでしょう。全ガンの五年生存率が68%といいますが、論理が正しいのなら100%のはずです。論理が正しいのならなぜ32%の患者さんが助からないのでしょうか?

それは論理に欠落した部分があるのです。だから完全治癒が100%ではないのです。
さらにこの全ガン五年生存率68%には、多数の早期発見の事例が含まれているので、大多数のガン患者さんには当てはまらないのです。五年生存率の実態はもっと低い数字のはずです。

私のこの拙文は官製の【標準治療】を非難するためのものでは有りません。
仮に全ガンの五年生存率が50%だとしても、それは立派なものです。

たとえその内容が手術・放射線・抗がん剤およびある種の患者が潜在的に持っていた自然治癒の結果であっても、二人に一人が完全治癒をするというのは、【標準治療】とよばれる現代医学の大きな功績です。

私は揶揄をしているのではありません。心からそう思っているのです。
しかしこれは裏返せば二人に一人は助からないということでもあるのです。

完全治癒が望めない患者さんには延命治療があるといいますが、そこに経ち至るまでに施した治療法は妥当なものだったのでしょうか。

論理は一体何をしていたのでしょう。その論理は五分五分の事態を想定していたのでしょうか。患者の半分は助かるが半分は助からないという論理は、論理といえるのでしょうか。

私はそんなものは外見がいかに精緻でも、到底論理などとはいえないと断じたい。

科学とは「実証科学」のことであって、半分しか説明できないものは科学の名に値しません。それは暫定的な、途上にあるもので個人的な範疇のものです。

それでも生死の戦場のような現在の医療現場では有用であるのなら、「負の50%」について、論理の不完全性を明示し、実例を示しながら説明した上で、少なくとも患者さんに一日ほどの熟考する時間を与えるべきだと思います。もちろんガンの【標準治療】を始める前にです。


それは何ゆえかといえば、不幸にも「負のスパイラル」のとばぐちに立った患者さんが、いつでもどの段階でも自由意思による選択をすることができるようにするためです。

引き続き延命治療を望む場合や、どうしてもあの山に登りたい。遍路をしたい。家に帰って家庭で終焉を迎えたい。尊厳死を望む。そして遠慮がちにいいますがこれこれの【民間療法】を試したいなどなど。








ガンは心疾患や脳疾患などのようにいきなり死が訪れるものではありません。
喜びと悲しみの混淆した長く辛い生活を送らなければなりません。

しかし心疾患や脳疾患で、突然に死亡したことによってこの世に残した思いは、私たちの想像をはるかに超えるものがあるのではないかと思います。

会社経営、財産の禅譲、家族の行く末、私的公的な人間関係など、せめて一日でも整理する時間が欲しかったと思うかも知れません。

ガンは上記のいわば「究極の終活」を仕遂げることができます。また己の心の練成をする時間もあるかもしれません。

そのためには過剰な【標準治療】で、身も心も深刻なダメージを受けてしまう前に、人に判断をしてもらわずに『自身』で真剣な判断をしていただけたらと、心から願っています。




生意気だと批判されるかも知れませんが、現代の医療構造ではその巨大な機構が医師に当時の【官学】程度の認識しか持てないような環境を強いているために、当時の【私学】のような全人的な人間観を持つことは到底不可能なことになっているのです。

現代の医師は闇夜に腹這いで手探りで行くことや、深い薮を行くことは到底できません。そんな必要はないというからです。

「これが私の信念です」。と押し通せば辞めなければなりませんが、その様な医師がどれだけいるでしょうか。極めて稀なことでしょう。また現代のガン医療機構の中でその様な医師に何ができるでしょうか   

ですから患者さんは特に「人間的」な問題は、医師に相談することなく、これまで生きてきた自分の人間力を信頼して、真剣な判断をなさるべきなのです。必ず新たな局面と助け手が現れることでしょう。






   人間のその最大の悲しみが
                    これかと
            ふっと目をばつぶれる

この一首は27歳にも満たないでこの世を去った石川啄木の歌です。啄木もまた肺結核で悲しい闘病生活を送りました。

私が【前縦隔原発・性腺外・胚細胞性腫瘍
非セミノーマ】で五年生存率0%、余命一年未満と宣告されて、粉ミルクだけを飲む闘病生活を送っていたときに共感できたのは石川啄木の歌でした。

西周が病床で荻生徂徠の書を読んで、天地の中に生きる己の本質を朧気ながらにも直感したように、闘病生活の中でたとえ微かでも、真実の予感が訪れることを願ってやみません。




















今日の話は昨日の続き今日の続きはまた明日





白鳥碧のホームページ
ミルクケア