おはようございます、私です。
また長いこと空いてるうちに、気づけば年度末ですね。
お仕事によっては棚卸の準備に追われてらっしゃるのではないでしょうか
ひとまずこれが終われば新年度、別れの後には新たな出会いがあるはずです。
そんな春がやってきて欲しい半分、花粉飛びまくるので悲しくなる半分の気持ちで、
本日もやっていきたいと思います。
花粉症の人はクリック


郷社 波自加彌神社
鎮座地:石川県金沢市二日市町
ご祭神:波自加彌神、護国正八幡伸
旧社格:国幣小社(延喜式)
郷社(明治)
御朱印:あり
というわけで金沢市二日市町に鎮座している波自加彌神社です。
加賀国加賀郡鎮座として『延喜式』神名帳に記載されている所謂式内社でもあり、
全国で唯一の香辛料の神さまとされています
少し前に富山から丹後の方まで北陸の神社をずっとお参りする小旅行をしてまして、
その中日に近くを通るということでせっかくならと行ってきました。
で、まぁ車で移動していたわけでナビに住所入れて出発しまして、
目的地まで到着したんですが、神社らしきものが見つからなかったんですよね。
ゆっくり標識見ながら走らせてると・・・
住宅地の中に小さな標識が
やっと見つけたので近くに車を停めてきたのですが、
ここで一つ疑問が。
私基本的に神社に行く際、その神社の周辺情報とか
境内の様子とかそういうのを全く調べないんです。
その上でこの波自加弥神社は式内社です。それなりの歴史のある神社なので、
境内は広いものだと思ってたんですね。
そんな疑問を抱きながらその標識の方向を見ると、
せっま!!!しかもほんとにあるし!!!
ガチでありました。狭いのでこの先に車を止めることはできないです。
ちょっと意外でしたね。
ですが間違いなくこれが波自加彌神社なのは間違いなさそうです。幟もありますしね。
えらいまぁこじんまりしてます。ホトカミとかの情報では、御朱印や授与品を出していて神主さんが常駐してらっしゃるということだったので、
もっと広い感じがしてたんですが…
ん?遥拝殿?
あー、そういうことね!!!
調べてみると、どうやらこちらは里宮遥拝殿というもので、
本宮はここから南東にある山の麓にあるそうです。
やっぱそうだよねぇ。歴史ある神社がこんな狭いところにあるわけないよね(例外あり)
手水舎が使えない代わりに、消毒液は完備されてました。
そもそも手水舎があったのかさえわかりませんでしたが。
建物の中は中央が祈祷殿のようになっており、
手前に賽銭箱、右手に上の写真のように授与品が置いてあります。
中でも面白そうなのがこの神社仏閣カードと書かれているもの
石川県の神社仏閣で21種あるそうです。
集めたくなっちゃいますよね。
そのほかにも御祭神に関連して美食守りや料理上達守りなど、
食に関連したお守りがあったりしました。
そしてこちらが遥拝殿ということはもちろん本宮があるわけで、
そして本宮はそれほど遠くはないというのが調べてわかりました。
遥拝殿の南側にこの社号碑があり、その横の道をずっと山の方に進むと本宮入り口の鳥居(1番目の鳥居があります)
神社の鳥居前を用水路として川が流れています。
これは河原市用水と呼ばれ、この地域はよく渇水による水不足がよく起きていたそうです。
そしてここに住んでいた中橋久左衞門という方が用水路を掘る際にどこを線引きとするか悩んでいた時、
この波自加彌神社に祈願したところ、ある雪の朝に白狐の足跡が神社から三麓を迂回して村に向けて残されていました。
これは神様からのお告げだと感じた久左衞門さんはこの道順の通りに用水路発端だそうです。
この白狐の伝説は現在も御朱印帳のデザインとして残っています
さて参道はこのような感じに。
横の幟がいいですね。生姜の絵が書かれています。
祭事表もありました。
けっこう初めて聞く祭りが多いですね。
先程の用水路の伝承も河原市用水水道祭として祭典をやっています。
二の鳥居の木鼻と柱の交差部分に金属製の補強がされていました。
まさかあそこだけ壊れたのか…?なかなかに謎が深まりますね。
二の鳥居のくぐるとまだまだ階段があります。
急なように見えますがそれほど大したことはありません。
私はわりとゼーハー言いながら登りましたが
いやぁ運動不足を感じましたね
さぁやっと社殿が見えてまいりました。
鎮座しているこの鎮守の杜、というか山の木々は保存樹林に指定されています。
山に自生している生姜や山椒を今の祭りに使っているのもあるからでしょうか。
やはりこうして神社という神域、犯してはならない土地として認知されていること、
これが開発から森を守る方法になっていきますよね
手水舎は蛇口式で、柄杓はないですがひねれば水が出ます。
その向かいに鳥居と手水舎だけあって、社殿のない何かがありました。
御旅所かな?とも思ったのですが、こんな至近距離で神輿置くわけもなし。
調べてみるとここには朝鮮半島から生姜を伝えた武内宿禰命さまを祀った諶兵堂(じんべいどう)があったそうです。
3年前までは参拝者によって確認されていますが、どうなってしまったのでしょうか…
こちらはその隣にある八幡山稲荷社です
いつもお世話になっております
さて、お待ちかねのこちらが拝殿です
石川県などの北陸地方の雪の深いところの神社ではこのようにガラス張りや、
冬の間だけ社殿の周りに板で囲って雪除けをしていたりします。
なので、後逸地本の神社参拝は冬以外の季節がオススメですね。
波自加彌神社はもともと元鎮座地より山の方にある四坊高坂町にあったとされ、
源平北国合戦の際に兵火にかかって焼失してしまいました。
そしてここに元からあった田鹿八幡宮の横に社殿を建てて再建しました。
後世に社殿が1つに造営され、両社の社名を名乗ってましたが、
いつしか波自加彌神社だけとなってしまいます。
ですが、現在もご祭神は波自加彌神さまと護国正八幡神さまとなっています。
社名の「はじかみ」というのは「生姜・山椒・山葵」などの歯で噛んで辛いモノ、
つまりは香辛料全般を指す古語とされており、椒(はじかみ)とも当てられたりします。
そしてその言葉に一字ずつ漢字を当てる大和言葉の形式を取る社名、
古い神社である証左ですね
生姜が現在も香辛料、薬味として様々な薬効があって広く用いられていたこともあり、
この神社も調味・医薬。健康の神様として崇敬され、
江戸時代には加越能(加賀・越中・越前・能登)の料理屋や医師、薬屋などが多く参詣したそうです。
ちなみに里宮遥拝殿が社務所であちらに神主さんが常駐しており、
こちらはおみくじくらいしか置いていません。
しかし、やはり波自加彌神社に参拝された以上、
御朱印などの授与品を受けて帰るだけでなく、
ちゃんと本宮の方にも足を運んでいただきたいと思います。
この神社で1番の目玉は例祭のはじかみ大祭ですね。
別名"生姜祭り"とも呼ばれていて、上の写真のように生姜がこれでもかと山盛りにお供えされています
奈良時代にもこの地域で水不足が起き、国造か雨乞いをするため当社に参拝し37日の祈願を続けると神社近くより霊水が湧き出しました
このことに感動した村民が感謝のためにお供えをしようにも旱魃が長かったためめぼしい食べ物が育っておらず、
たまたまそんな時期でも自生していた生姜をお供えしたのがこの祭りの始まりなんだそうです。
現在もこの献じた生姜で作った生姜湯が左参列者に振る舞われます
超暖かそう…6月だけど



名神大社 㯮椒神社






この時に木造の狛犬があると標識には出ていたのですが、
残念ながら写真には残っておらず。見つけてないのかもしれません。
ちなみに鳥居に「八幡宮」と書かれているのは、中世に石清水八幡宮を勧請したからなんだそうです。
あと、延喜式調査の時点では八幡宮だったのが現社名に復したのだと思われます。
で、まぁ鳥居と社合否はあったので神社はあるのだろうと思い出発
階段のように石が敷かれていますが落ちた杉の枯れ木は掃かれているわけでもなく、
普段から人が立ち入っている雰囲気ではないのはわかりました
途中で瑞神門のような簡易的な建物が現れます。
なんか明らかに雰囲気が変な感じがしてどこかに迷い込んだかのような、
そんな中でのこんな門が現れると、この先は別の世界じゃないのか、
くぐったら帰って来れないのではと思わされてしまいますね。
そしてそこからはまさかの石段もなくなり、かろうじて切り拓かれているのが分かる道になりました。
当時、訪れた時間も3月の17時ごろで少しずつ薄暗くなっていったのもあってか、
地図以上に奥にあるんじゃないかと思ってしまいます。
ここでついにまた階段の道になりまた大きな神門が現れました。
しかし形を見ると階段が近いせいで門に見えますが、
見方によっては割拝殿に見えなくもないですね。
手水舎は壊れていました。なんなら古そうです。
ちなみにこの神社に行く前に本務社である小田井縣神社にも参拝し、
この神社について聞いてきました。
私「あのすみません、㯮椒神社ってこちらが兼務してらっしゃいますよね?」
神主さん「へ?はじかみ?・・・ああ!㯮椒神社ね!!ここではホソキ神社って言ってるから分からなかったよ」
私「そうなんですか?」
神主さん「地元の人はそう言ってるね。それにしてもあなたよく知ってるねぇ。僕らも年に1回しか行かないよ」
年1だとすると、それこそ例祭の時だけなのかもしれませんね・・・
さて、到着したコチラが拝殿です
ちょっと写真では分かりにくいのですが、けっこう大きめの建物です。
さてここで御祭神ですが、上記の通り㯮椒大神さまで、
一文字目は日本語のキーボードでは変換できない字となっています。
この2字で山椒を意味しており、この土地が山椒の産地だったとされています。
地名が椒(はじかみ)なのはそれが由来みたいですね。
なので山椒を神格化した神様を祀る神社とも言われています。
また、近くを流れる川は三椒川と呼ばれています。
がっつり山椒ゴリ押しですね
ちなみに地元では「ホソキ神社」と言われているらしく、
『延喜式』神名帳でも㯮椒(ほそき)と読ませる書物もあるようですね。
また、伝承ではここで採れた山椒を搾って作った油を朝廷に献上していたとも言われており、
これが名神大社に列格した由来なのかなとも考えられます。
この神社の麓?側?にはこの大きなエドヒガンザクラが植っており、
この桜からくの字に曲がって右手の山を登ると鳥居が見えます。
なのでこのエドヒガンを目印に行くのが得策ではないでしょうか
またこのエドヒガン、「おまき桜
」と呼ばれており、
樹齢は500年ほどと推定されています。
この桜が咲く頃が、この地方で栽培されていた「麻」の種を蒔く時期という合図にされていたそうです。
基本的に植物の季節に対する動きはかなり正確ですからね。
暖かくなったとしても肌感覚では確実とは言えず、
自然の摂理に従って動くのは確実と言えるでしょう。
あ と が き






