こんにちは、わたしです。
気づけば令和3年も残り3日、早いものですなぁ…
…何も成し遂げず今年も終わっちまった。
結婚、できなかったなぁ…
知り合いがこんなご時世でも婚約発表したりしましたし、
そういう話聞いてると、みんなの時間は進んでるんだなぁ…と感じますね。
実元の知り合いとか自分がみっともなくて見せられないですもん(笑)
…やめよ、悲しくなってきた。年の瀬だからかな
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鎮座地:福岡県太宰府市宰府
御祭神:菅原道真公
旧社格:官幣中社
御祭神:9月25日
御朱印:あり
ということで、みなさんお待たせしました。
満を辞して太宰府天満宮のターンでございます。
太宰府市の中心にして全国の天満宮の総本宮の一つとされていまして、
神社本庁の別表神社となっております。
福岡に奉職中の友人からも「太宰府は別枠」と呼ばれるほど、
参拝者が絶えない日本を代表する神社です。
鳥居潜ってまず表参道まっすぐ進むと立ち入れない神門があります。
しかもよく見ると表札があり「西高辻」と書かれていますね。
となるとこちらは太宰府天満宮の社家「西高辻家」の旧邸宅とかでしょうか
割と古い神社とかは境内の隣とかにあったりしますよね。
この表札の西高辻家は、菅原家直系である堂上家「高辻家」から19世紀に分かれた一族で、
この神門の先にある延寿王院で出家し、別当として太宰府天満宮を管理していました。
その後、明治の神仏分離で還俗して神職家となり、現在まで宮司職を世襲しています。
その神門前を曲がって進むと池と向こう岸を跨ぐ太鼓橋があります。
ある種ではここが俗世と神域の境界なんでしょうかね
ただここを見てもわかるんですが、山道沿いにある末社がでかい
正直この末社一つで神社ができるレベルです。
手水舎です。色合いがいいですね。朱色より濃いめの赤銅色で、
この金の装飾が映えますねぇ・・・
そしてこの時点でもわかるとおり、若年層の参拝者が多いです。
合格祈願や、学業成就を祈りに来たんでしょうね。
楼門も同じ色をしていますね。なんかこの軒下の高さが、隋身門とは違いますね。
なんか首里城の守礼門ぽさが・・・いや、色合いと柱だけだな。
ちょうどこちらの大祓前だったので、茅の輪が準備されてました。
なんか九州地方って乾いた茅じゃなくて、青々としたものを使ってるところが多い気がします
こちらが本殿です
元々が道真さんの亡骸を葬って建てた安楽寺であったので、
拝殿本殿の概念はなくお堂一つでした。
それは神仏分離で神社となっても変わらず、
天満宮の中で一番神様に近づける天満宮とも言われています
なんなら伝承通りならここに道真さん眠ってますしね
ご存知だとは思いますが、太宰府天満宮は哀しみの末にこの世を去った道真さんを安楽寺に葬ろうとしたとき、
棺を乗せた牛車が突然止まり全く動かなくなります。
これはおそらくこの場所に葬ってほしいというお達しだろうと考え、
安楽寺の境内に廟を建てて天原山庿院安楽寺と号します。
そして宮中で道真さんの祟りが起こり北野天満宮の創建と共に御霊信仰による道真さん=天満大自在天神さまへの信仰が強まります。
そしてここもまた藩主の黒田氏が境内整備をちょこちょこやったおかげで社勢はより強くなり、
このころから九州の観光客を集める神社となりました。
ちなみに当時からころころ名前が変わっており、
安楽寺→天原山庿院安楽寺→安楽寺天満宮→太宰府神社→太宰府天満宮
となっています。
明治期に一度天満宮の社号がなくなったのは「宮」号が皇族関係の神社にしか使えない、
またはかつて権力者から「宮号宣言」をされた神社ではないと使えなかったからです。
これは北野さんにも適応されているので、戦後になるまでは北野神社でした。
もともとがお寺だったためか本殿の周りには回廊のような壁がぐるっと貼り巡っており、
その四方で授与所、受付が設けられています
どんだけ人が来て混雑してこんがらがるかが伺えますね
社務所近くにある大楠は樹齢は1000年から1500年を超えると言われており、
国の天然記念物に指定されています。
道真さん、ひいてはこの天満宮の隆盛をずっと見守ってきた木ですね。
その隆盛を成長具合で表しているかのようです
さて、では最後にこちらのHPを載せておきます太宰府天満宮 公式サイト
という感じでいかがだったでしょうか。
この度もついに道真さんの場所までやってきました。
もともと二十五拝でも決まっていましたが、大宰府への旅による順番はここで終わりまして、
ここからは道真さん、ひいてはそのあとの処遇を由来にする天満宮になりますのでお楽しみに。
というところで本日は筆を置きたいと思います
ほんだらまた明日