一宮さんを偲んで
昨日、一宮さんが亡くなりました。今月の初めお会いしたとき、「20日の株主総会(株式会社新居浜テレコムプラザ)には出席するからな。」とおっしゃってただけに、訃報を耳にし、ただただ驚きました。
「その時には、退院祝いをしましょうよ。」と私が申し上げると
「そうやなあ」と、いつもの一宮さんのひとなつっこそうなお顔でおっしゃってたのに
それが、私と一宮さんの最後の会話になりました。
若い私たちに、いつも声をかけてくれていた一宮さん
あまりの早い別れに、残念でなりません。
15,6年前、私は学生のとき以来、久しぶりとなる海外旅行を一宮さんとご一緒させていただきました。
オーストラリアをシドニー、メルボルン、バララット、ゴールドコーストと視察を兼ねた旅行でした。私の人生のなかで、一番印象に残ったすばらしい旅行の中の一つです。
私たちがバララットからシドニーに夜遅く帰ってきたときに、空港からレンタカーでシドニー郊外のホテルを予約した町まで来てみると、もう店も全然開いてなく、なんとか店じまいをしている店が一軒だけありました。
その店に、一宮さんがスタスタと入ってゆき、交渉してくれて何とか夕飯にありつくことができたのです。
ところが、その店じまいをしようとしていた店の主人が一宮さんと意気投合して、私たちとも、すっごく盛り上がって、なんか、そこに居た現地の人たちとも、和気藹々!!
夜の宴会は延々と続きました。
あの、楽しかった夜のことが、何故かいまだに鮮明に記憶に残ってます。
翌日、出発前に近藤さんが、財布をなくしたということで大騒ぎになりました。(結局は本人のポケットにあったそうですが)
その他、一緒に船にのったり、ジグザグ鉄道に乗ったり、クラークさん家族との出会い、等々、どれをとっても楽しい思い出です。
私は、もう一度一宮さんと海外に出かけたことがあります。
ある日突然「とおる君、マレーシアのツンガイブンツというところで、ゴルフ場を開発する話があるんだけど、行ってみるか?」と誘われました。
好奇心の旺盛な私ですから、即答!「是非、連れて行ってください。」
かくして、一宮さんとシンガポールへと行くことになりました。
シンガポールから、木造のポンポン船にのって、対岸に渡ると、そこはマレーシアです。
舗装もされていない道をしばらく走って(何分ぐらい走ったかは覚えていない)現地に到着
ガイドの人と、一宮さんと私とで、小高い山に登りました。
現地を踏査している時に、突然、やってきたんです!!スコールが、、。
ザ、ザーと激しい雨
一宮さんと私は、思わず木下に駆けて逃げ込みました。
すると、
逃げ込んできたのは、私たちだけではなかったのです。
激しい数の「蚊」も、私たちと一緒に逃げ込んできたのでした。
多勢に、無勢の、咬まれ放題でした。
そのプロジェクトの話は進めないことになりましたが、そのときの事、その後、現地の弁護士とカタコトの英語でミーテイングしたり、また、一宮グループの現地の人との出会いなど、どの出来事も思いで深く残ってます。
その後も、思い起こせば、一宮さんとの思いでは多く、
結局、何もご恩返しができないまま、
目を瞑れば、「とおるさんや、やらにゃあ、いけん!!」っと叱咤激励してくれている一宮さんのお顔が、浮かんできます。
一宮さんの崇高な意志の、いくばかりかでも、引き継いで、頑張ってまいります。
どうか、安らかにお眠りください。