アパ懸賞論文、5年連続で今年も挑戦しました。

 目指すは最優秀賞300万円です

 字数制限のため、全文を一気に紹介できないでの、章ごとに小分けし、全6回でお送りします。

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自分で確かめた大東亜戦争の真実 ~パラオの戦争遺跡を通して~


          
群馬県立●●高等学校 地理歴史科教諭 白髪 磨人

 

1 私をパラオ探訪へ駆り立てた「先人たちの誇り高き死闘」

 

  昨秋、私は、「永年勤続に伴うリフレッシュ」という名目で5日間の特別休暇を頂き、念願のパラオに出掛けました。そして、ジャングルに眠る零戦の最期の姿をはじめ、日米両軍の激闘を偲ばせる戦争遺跡の数々を自分の目で確かめることができました。


 訪問前に私が目論んでいたのは、パラオ訪問を通して未熟な自分の歴史観の確証を得ること。とりわけ、大東亜戦争が、亡国の危機を回避するとともに、欧米列強によるアジアの不当な植民地支配を排撃するという大義の下、私たち日本人の先人たちがアジアの代表として立ち上がった誇り高き死闘であったとする持論(大東亜戦争聖戦論)の正しさを確かめることでした。


 ところで、私は昨年からブログ「自分で確かめた近現代史の真実」を運営し、近現代史の関する記事を公開するなかで、平素よりわが国の歴史教科書の自虐性をはじめ、未だに日本社会に蔓延る自虐史観を批判。辛辣な記事ばかり書いているわりにアクセス数は少なくなく、ブログランキングサイトで上位を保っています。


 
ブロガーにとってアクセス数の増加は大きな励みです。しかし、私はそれだけで満足せず、記事に対する読者の明確な反応を探るため、コメント欄への書き込みを促すほか、内容に沿ったアンケートを個別に作成し、回答を求めています。


 
例えば、以前ブログで東京裁判の記述をめぐるわが国の歴史教科書の自虐性について言及した記事を公開した掲載した上で、読者に「あなたは東京裁判を肯定しますか?」と投げ掛けました。すると、回答数97件のうち、私が支持を求めた否定派は44件に止まり、肯定派がほぼ同数の45件でした(平成26年8月24日現在)。つまり、残念ながら、未だに東京裁判の法的性格を追認し、その法務死された国士たちの冤罪を黙認する大勢の読者の姿が浮かび上がりました。


 
また、コメント欄に多数書き込みが寄せられています。再び東京裁判を例に挙げると、「喧嘩の勝者が敗者を事後法で制裁した茶番」(年齢・性別不明)や「戦勝国が敗戦国を裁いた裁判なので、内容は当然デタラメ。戦後70年経とうとしている今でもこの裁判を信じている人が存在することに驚く」(40歳代男性)など、ブログを支持する読者が少なくありません。


 しかし、その一方で、「戦争に負けるとはそういう事」(
40歳代男性)や「東京裁判がなかったらもっと恐ろしいことが起こり、日本は再起不能に陥っただろう。東京裁判は日本にとってやむを得なかったことなのだ」(年齢・性別不明)など、批判的なコメントを書き残す読者も度々登場。私はこうした反駁に対し、切れ味の鋭い返信を送り返すことができず、勉強不足を痛感しました。


 こうした苦い経験がもとで、私は持論に対する確からしさをじっくりと検証するため、世界的にも有名な広島の原爆ドームから決して目立たない郷土の防空壕・防空監視哨に至るまで、国内に残る大東亜戦争関連の遺跡の数々を訪ね歩き、時には聞き取り著ました。ただし、それらは専ら銃後の守りに勤しんだ民間人=非戦闘員の被害状況や防災活動を偲ばせるものが大部分で、日本軍将兵の死闘の様相を偲ばせる具体物ではありませんでした。


 そこで、大東亜戦争の最激戦地の一つ、パラオ・ペリリュー島への探訪を決意。日本人の先人たちが米軍と激闘を展開した戦場の様相を現地の戦争遺跡を通して回想し、自分が声高に叫び続けている持論を確証に昇華させたい。そうした想いで、言葉(英会話)と膝(変形性関節炎)の不安を抱えながらも単身でのパラオ探訪を実現させました。

 

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 今回は以上です。

 なお、論文執筆に当たって、今回はなかなかテーマが絞れず、取りかかるのが遅れてしまいました。ただし、締め切り(8月31日)に間に合わせるため、夏休みの後半を全てこの論文執筆に費やしました 
 
 なので、今年の夏はパソコンが私の友だちでした

 そろそろ来年は一休みさせてもらおうかな・・・

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