昨日のブログで、「胸三寸」という言葉を使用しました。ふと、意味としてあっていたのか気になったので調べてみました。
goo辞書によると、

「胸の中。また、心の中にある考え。」

とあります。weblio辞書も同じでした。また、weblio辞書の例文では、

「私の昇進は彼の胸三寸である。」

とあるので、間違いではなさそうです。

「財務省の考え、解釈、判断で、追徴課税、重加算税にすることができる。その逆もできる」

という意味で使ったので間違ってはいないようです。

ところで、「胸三寸」は何も財務省に限ったことではないです。ほぼ、人間生活のなかでは、すべて「胸三寸」が基本だと考えていいと思います。権力を持った側がその「胸三寸」で権力がない側に対して処理します。権力側の考え、判断で実行、処理してしまいます。

学業の成績もそうです。点数だけで決まるものは「客観的」ということになるのでしょうが、入試での内申の場合は先生、学校の「考え」に左右されます。
入試、入社の面接などは面接官の「考え」のみです。その前の足切りの基準は、出身学校などでの足切りの場合などは、面接する側の「考え」でしかありません。採用は「考え」そのものです。
そして、昇進とかもそうです。試験とかありますが、最終決定は上司、幹部の「考え」次第です。

個人の場合だけでなく、企業などの場合もそうです。
国、県、市などに納品する場合は入札が基本です。しかし、通常は要求仕様などで事前選別します。この要求仕様作成に納品を検討している業者が入ったりすることがあります。こんなことやってはいけないのですが、裏でやったりします。そして、納入後は随意契約にしたりします。この流れのあちこちに「考え」が入り込みます。

災害時の罹災証明書の基準もそうです。「全壊」、「半壊」などのレベルがあります。細かい基準がありますが、最終的には審査官の「考え」に依存します。

スポーツでもそうです。採点型競技、体操、フィギュアスケート、シンクロナイズドスイミング、ボクシング、柔道などです。採点の基準はありますが、最終的には審判の判断、「考え」で決まります。採点型競技ではないサッカーなどでも、得点、オフサイドの判定も最終的には審判の「考え」です。

犯罪に関してもそうです。犯罪捜査をするかどうかは警察が判断します。起訴するかどうかは検察官が判断します。有罪かどうかは裁判官が判断します。すべて、警察の、検察官の、裁判官の「考え」で決まります。

などなど、いろいろの事案でそれぞれの判断の基準があるにしろ、最終的には判断する人の考え、「胸三寸」によります。その上、「考え」を主張する人の時期、状況にも影響されます。疲れているとき、怒っているとき、悩んでいるとき、悲しんでいるときなどによって「考え」は影響されます。これも仕方がないことです。人は神様ではないのですから。

「結局、考え、胸三寸なのは仕方がない」ことだということを前提に、「胸三寸」を実行する人には、時期、状況に関係なく同じレベルで判断してほしいと思います。そして、自分に恥じない判断をしてほしいと思います。そういう心がけで対処してほしいものです。