群馬県で起きた犬の虐待事件。
飼い主は動物愛護法違反容疑で逮捕されました。

“病気やけがのある犬に適切な保護をしない虐待を行っていたほか、犬の死骸を放置した状態で飼育を続けて虐待した疑い。
7月21日、県動物愛護センターの職員から通報を受け、署員が同日と8月16日に現場を訪れて発覚した。
群馬県警沼田署は(9月)7日、動物愛護法違反の疑いで、桐生市、建設業の男(69)を逮捕した。”


虐待内容は富山県東部の元ブリーダー(A氏)が行った虐待とほぼ同じです。
同じことをしているのに、すぐに逮捕される人と、いまだ何の結論も出ていない人。

この差は、愛護センター職員が何度も指導に入ったかどうかだと考えます。

群馬の飼い主は度重なる指導にも改善する様子がなかったため逮捕に至ったようですが、ニュースサイトを見れば分かる通り犬たちは外飼いされています。

いつでも誰でも飼育環境の確認ができるなら、証拠を押さえやすいので指導の回数も重ねやすいでしょう。

では、室内飼育の場合は?

飼い主が何らかの言い訳で時間を稼いで証拠隠滅してから受け入れることも、居留守を使って拒否することも可能です。

つまり、受け入れるときは見られてもいい状態に整っているときなので、そのアドバンテージを考慮の上で丁寧に犬の状態を確認しなければ意味がありません。

 

そもそも「何回か指導して改善されなかったら~」と、そんな悠長なことを言っている間に犠牲になる命があってもいいのでしょうか。

その子の命は一つだけ。その子の一生は一回だけ。

イエローカードは何枚も要りません。もっと厳しい判断が必要だと思います。


また、動物虐待に該当するかどうかの判断は公正公平であるべきです。
特に動物愛護後進国である日本ではいまだペットが器物扱いなこともあり、人によって感じ方や捉え方が違う“ふわふわした曖昧なもの”になっている印象があります。
たとえば、飼育環境だけを見て犬の状態(爪、被毛、けが、病気など)をしっかり見ないとか、もっとひどいケースと比較してそれよりはマシだからセーフとか、そういう杜撰な調査や判断で虐待を見逃されたケースもあるのではないでしょうか。(あくまで個人の感想です)

 

被虐待動物も、その命を救いたいと思う人たちも、行政だけが頼みの綱だということを自覚してほしいです。

 

この子の爪を見て獣医は「おそらく1年ほど放置されていると思う」と言いました。

人間にとってはたった1年でも、犬にとってはそうではありません。


犠牲になった犬たちに少しでも良い報告ができる日を待っています。