「二わのことり」を授業で扱うとしたら | 元小学校教師による学校現場目線からのメッセージ

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このブログで、道徳教材「二わのことり」について分析を続けてきました。

今日は、いよいよこの教材を「特別の教科道徳」で扱うとしたらどのような発問等を子どもたちに投げかけるのか、という問題についてです。

「二わのことり」は、原作をそのまま読み聞かせるだけでも大切な学びになる優れた児童文学だと考えています。まずこのことが基本です。

つまり「友情」だの「信頼」だのの価値観に無理やり誘導しようとするから無理が出てくるのです。久保喬さんもそんなことのためにこの作品を書いたのではないということです。

それでもこの作品を使って「特別の教科道徳」(以下、「道徳」)の授業をするのであれば……、ということで以下考えてみます。

「道徳」でこの作品を利用する時でも、やはり原作を使いたいと思います。ただ、一時間で完結させることを要求される「道徳」では後半部分まで読み拓くことは無理でしょう。

そこで「道徳」の時間では、各教科書でも扱っている前半部分を読み、別な時間に(あるいは授業の終了5分前に)後半部分を読み聞かせればよいのではないかと思います。

発問は「読み聞かせるだけでも学べる作品」ということを頭に入れて、遊び心を持って気軽に子どもたちと雑談するイメージで考えてみたらどうでしょうか。

『どうして最初からやまがらのいえに行かなかったの?』
『みそさざいがうぐいすのいえから(そっと)ぬけだしたのはなぜ?どうして堂々と行かなかったの?』
『なぜことりたちを誘わないで一人だけで行ったの?』
『一人でやまがらのいえに行ったことがわかってしまうと、何か困ることがあるのかなぁ?』
『みそさざいは(きてよかった)と言っていたけど、本当によかったのかなぁ?』
『みそさざいとやまがらの二わと、うぐいすや小とりたちとでは、どちらが幸せだと思う?』

最初はみんなに合わせることを選び、やまがらの家に行くときにも(そっと)ぬけだすしかなかったみそさざい……。そんなみそさざいの「生きづらさ」を自分たちの生活とリンクさせながら考え、それでも「楽しさ」「幸せ」を願う気持ちを忘れたくないことを子どもたちと一緒に考えていきたいと思いました。

「特別の教科道徳」が誘導する『嘘芝居』を演じることのない子どもたちを育てていきたいものです。

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