道徳教材の原作と出会う | 元小学校教師による学校現場目線からのメッセージ

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一年生の道徳教材「二わの小とり」の原作を読むことができました。地元の図書館に国会図書館から届いたのです。

さっそく書き出しを読み比べてみました。

三社の教科書が<みそさざい>の「あるべき行動について考える教材である」ことを宣言する書き出しであったのに対して、原作は、

『みそさざいは山のおくのやまがらのおうちへいこうか、それともうめのはやしの中のうぐいすのおうちへいこうか、どちらにしようかとまよいました。』

のように、<やまから>と<うぐいす>の暮らしぶりの違いを書き出しに持ってきています。

さらには、みんなが<やまがら>のうちに行きたくない理由や<うぐいす>の家がいかに魅力的であるかなどがそれぞれの教科書以上に詳しく描写されていました。

生活の格差を子どもたちの目から見た「矛盾」として表現されている意味についてはあとで述べてみます。

そして何よりも衝撃的だったのは。この話にはつづきがあったことです。

物語のつづき紹介----↓ここから↓----

ある日<みそさざい>は人間のわなにかかって羽を怪我してしまい飛べなくなってしまいます。餌も探せずこのままでは死んでしまいそうな時に<やまがら>が訪ねてくるのです。しかもそれは雪がちらつく寒い日でした。<みそさざい>が怪我をして動けないことを知った<やまがら>は餌を拾ってきてくれます。おかげで<みそさざい>は元気になります。最後は次のように締めくくられます。
『二わのことりは、たのしそうにはやしをとびまわりました。』


物語のつづき----↑ここまで↑----

ここでは<やまがら>の


「あっ、それはいけない。大こまりでしょうね。むりをしたもうな。じっとしてなおるまでねていたまえ。たべものはぼくがとってきてあげる。」

 

といった淡々とした応答・対応が印象的です。

久保喬さんは、子どもからの純粋思考からの発信を児童文学を通して表現した作家です。しかし安易に子どもの側に立つことに批判的な児童文学者でもありました。

「安易に子どもの側に立つ」とは、今でいえば「子どもらしさ」の決めつけであり「良い子モデル」の強要ではないでしょうか。

久保さんが表現したかった「子どもからの視点」とは、子どもたちの生き方の背景にある危険や矛盾、そして生きづらさを子どもたち自身が自覚して「子どもの内なる声」として世間に突き付けていくこと。そしてそれに対して子どもたち自身が淡々と対応し「明日への視点」を見失わないことであったと思われます。そんな世界を「二わのことり」で表現したのだと私なりに読み解きました。

単に二羽の美しい友情物語ではないということです。

<参考>
久保喬自選作品集第三巻
・「二わのことり」
・久保喬論 西沢正太郎

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