小1道徳教材「二わのことり」教科書の違い | 元小学校教師による学校現場目線からのメッセージ

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道徳教材「二わのことり」は、教科書によってその文章表現が違っていることに気がついた。

今回は、■学研▲光文書院●東京書籍の三冊を比べてみよう。

文学作品として扱わず、ある価値に向かって子どもを誘導しようとするのが道徳教材であることが、この「違い」によってもあきらかである。なにふりかまわずという感じだ。

たとえば……、

【物語の書き出し】
■学研
「みそさざいは、やまがらのうちへいこうか、うぐいすのうちへいこうか、まよいました。」

▲光文書院
「みそさざいは、やまがらのうちへいこうか、それとも、うぐいすのうちへいこうか、まよいました。」

●東京書籍
「きょうは、やまがらのたんじょうびです。もりのことりたちは、みんなよばれました。けれども、やまがらのいえは、とおくのさびしいところにあります。みんなはやまがらのいえにはいこうとはしません。」

■学研▲光文書院は、子どもたちに「この教材は、どちらに行くのかを考える教材」であることを宣言している。●東京書籍は、「この教材は、やまがらに対する小とりたちやみそさざいの行為について考える教材」であることを示唆しているのである。

重要なポイントについても比べてみよう。みそさざいが、うぐいすのいえに行くことを決心した場面である。


【うぐいすのいえに行くことを決心した場面】
■学研
「まよっていたみそさざいも、とうとうそちらへとんでいきました。」

▲光文書院
「みそさざいも、とうとうそちらへとんでいきました。」

●東京書籍
「みそさざいは、どちらにいこうかまよっていましたが、みんなといっしょに、うぐいすのいえへいきました。」

『とうとう』いくことになったと表現しているのが■学研▲光文書院。『みんなといっしょに』が強調されているのが●東京書籍●東京書籍の方が、『みんな』との関係の中で決心したことを伝えている。

そして、うぐいすの家を出て、やまがらの家に行く場面では。

【うぐいすの家を出てやまがらの家に行く場面】
■学研
「小とりたちはみんなここにきてしまったのです。(やまがらくんは、せっかくのたん生日なのに、さびしくすごしているだろうな。)みそさざいはうぐいすのうちをそっとぬけ出して、やまがらのうちへとんでいきました。」

▲光文書院
「でも、みそさざいは、やまがらが、おたんじょうびにどんなにさびしくすごしているだろうかとおもうと、たのしくありません。そこで、こっそり、うぐいすのうちからぬけだすと、やまのおくのほうへとんでいきました。」

●東京書籍
「そのうちに、みそさざいは、(みんなこちらにきてしまって、やまがらさんはさびしいだろうな。)とおもいました。とちゅうからそっとぬけだして、やまがらのいえへいきました。」

■学研●東京書籍は、みそさざいのさびしさの理由を「みんなこちらにきてしまって」と、みんなとの関係で表現している。

それに対して▲光文書院は、みそさざいとやまがらの関係で考えている。

さらには抜け出し方の違い。■学研●東京書籍は「そっと」抜け出していて、光文書院は「こっそり」抜け出している。

▲光文書院は、みそさざいとやまがらの一対一の関係に着目しているので、みんなから「こっそり」なのだと思う。

それに対して■学研●東京書籍は、「そっと」という表現の中に、小とりたちみんなへの配慮がうかがわれるのである。つまり■学研●東京書籍は、みそさざいの行動をみんなとの関係の中で考えている。


このように重要なポイントを比べてみると、みそさざいの行動を●東京書籍が一貫して『やまがらとの関係だけでなく、小とりたちやうぐいすとの関係の中で考えさせようとしている』ことがわかってくる。

しかし、特に▲光文書院は、みそさざい対やまがらとの一対一の関係の中で表現している。

この違いは重要である。

さて、原作はどう書いているのだろうか。

国会図書館から原作が届くのが楽しみだ。

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