しおちゃんマン★ブログ

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学校現場目線からのメッセージ~教師たちへの応援歌~

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(1)からのつづき

「道徳を語り合う」とは、『生活(生き方)を語り合う』ことである。物語の教訓・「価値」を子どもたちに教え込むこと…、そして "良い子に生きる" ことを強いることが道徳ではない。
 
そこで、この作品からリンクできる子どもたちの「生きづらさ」について考えてみる。
 
今の子どもたちは、一年生であっても、直感的に友達間の力関係を見る。友情や正しいことよりも、強い力に引っ張られることはよくあること。排除される生きづらさは、すでに幼児期から直感的に感じている。
 
こういった生きづらさの中、どのように行動するのか、そしてそのために何が必要なのかを一緒に考えることが大切ではないだろうか。
 
今の子どもたちの第二の傾向として、いい意味でも悪い意味でも、「気遣いをする」ということがあげられる。
 
音楽会を「そっと、抜け出して」の行動について、 "どうしてうぐいすや小とりたちを誘わなかったのか"、とか、 "みんなで行くことが正しい行動だったのではないか"、と考えるのは子どもたちの「生きづらさ」に共感した考えとは言えない。
 
みそさざいは、小とりたちを気遣ったのであろう。せっかく楽しんでいるのに誘うのは申し訳ないと考えたのであろう。それが今の子どもたちの思考である。同時に、そのことは、自分だけが排除されることを覚悟した行動であるとも言えるのである。そのリスクを超えて、やまからのことを考えたのである。
 
このように考えると、みそさざいの行動は、みそさざい個人、あるいはやまがらとの関係の中だけで生まれたのではないことがわかってくる。うぐいすや小とりたちとの関係の中で生まれていると考えるべきである。
 
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さて、授業としてどう扱うかであるが、私としては、原作を扱いたい。教科書に載っている教材は、子どもたちの思考を「友情」だとか「思いやり」だとかに誘導しようとして不自然な部分が多すぎるからである。
 
原作を読み聞かせながら、最後の(きて、よかったな。)に注目して、一人で来てよかったのか、みんなで来た方がよかったのかを、私だったら聞いてしまうかもしれない。
 
そしてそこから、そして、「そっと」抜け出したみそさざいの「そっと」に共感しつつ、今のこともたちの生活の「生きづらさ」について、一年生なりに話し合うと思うのである。
 
(未完)

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教材紹介----↓ここから↓----
<みそさざい>は悩んでいました。
 
<小とり>たちと一緒に誘われている、山奥にすんでいる<やまがら>の誕生会に行こうか、 それとも、梅の林のきれいな明るいところに住んでいる<うぐいす>から誘われている音楽会の練習に行こうか、と。
 
そして結局、ほかの小とりたちと同様、うぐいすの家に行くことにしたのである。
 
しかし、みそさざいは,だんだん一人ぼっちでいるやまがらのことが気がかりになり,音楽会の練習を「そっと、抜け出して」、やまがらの誕生会にかけつける。
 
一羽でしょんぼりしていたやまがらは,みそさざいがきてくれ たことに大変喜び,みそさざいも「来て良かった。」と思う…、という内容である。
教材紹介----↑ここまで↑----
 
友だちを思って気持ちが揺れる「みそさざい」 の姿を通して,相手のことを考えて行動する大切さに気付かせ,互いに助け合おうとする 心情を育てることを目的とした道徳教材である。
 
作品は、久保崇さん「二わの小とり」。道徳教材として利用するために、原作はかなりいじられているようだ。特に、みそさざいとやまがらの友情を描いた部分があるようだが、そのことはカットされているらしい。現在、原作をさがしているがなかなかみつからない。
 
一読してまず感じたのは、どうして小さな子が読むお話に、<みそさざい>という、あまり知られていない鳥を主人公として登場させたのか、ということである。
 
そこで、<みそさざい>について簡単に調べてみた。Wikipediaによると、
 
・日本の野鳥の中でも、キクイタダキと共に最小種のひとつ
・群れを形成することはない。繁殖期以外は単独で生活する
 
久保さんはおそらく、小さな、一人ぼっちのイメージの鳥として「みそさざい」を選んだのではないだろうか。それをわかっていないと、最初にうぐいすの所に行ってしまうみそさざいの行動が理解できないのである。
 
そんな一人ぼっちのみそさざいの友だちとして、やまがらを登場させた。「二わの小とり」の「二わ」とは、みそさざいとやまがらのことである。
 
しかし、教材としての作品には、二人に友情の構築については描かれていない。だから、楽しい音楽会の練習をひとりで抜け出す行動について、若干の不自然さが残る。それに対して、うぐいすは派手でボス的な位置にいる…、影響力があり、権力のある者として登場させている。
 
みそさざい、やまがら、うぐいすといった三者の力関係をまずおさえなければ、この作品をめぐって「道徳」を語り合うことはできないのではないだろうか。

(つづく)

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指導に「したがう」というのは、あくまでも教師からの見方であり、子どもたちにとっては「したがっているつもりはない」ということがあるのではないでしょうか。「したがう」というよりも、指導に「のってみる」という方が、子どもの側からの見方になるのではないでしょうか。
 

考えてみると、子どもたちはどうして席についているのでしょうか?どうして黙って教師の話を聞いているのでしょうか?どうしてノートをとり、話し合い、発表をし、宿題をしてくれるのでしょうか?
 

席につかず、話を聞かず、宿題もやってこない子が増え…、そんな学級があたりまえの状態が増えている中(もう「学級崩壊」という言葉などつかわなくて良い状態であると考えています)、教師と子どもたちの基本的な関係性についてあらためて考えてみる必要があるのではないでしょうか。

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官制研修が続いていると思います。

私自身は、そういった研修の質問の時には、できるだけ手をあげることにしています。研修内容を自分のものにしたいからです。
 
 
私自身が講師の時は、話をする前に必ず
「質問を集めながら聞いてください」
とお願いします。
 
 
もちろん、質疑応答の時間を30~40分取ります。
 

しかし不思議なことに、官制研修は質問してはいけない雰囲気があります。
 
 
質問することは講師に失礼だという謎の考え方です。
 
 
主催者もできるだけ早く終わらせたいと思っているのかもしれません。
 
 
だから、私が手をあげるとほとんど嫌な顔をします。
 
 
アクティブラーニングだの、主体的な学習だのを主張している人たちがこのような現状なのですから、子どもが育つはずがありません。
 
 
まずは教師が、あるいはその研修を主催する人たちこそ、アクティブに主体的に学ぶトーンをつくってはどうでしょうか。

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