はじめに

 

こんにちは、shionです。

 

語学の習得というのは、なかなか険しい道のりですね......

 

なんとなく必要性を感じて、外国語の学習を始めるまではいいのですが、モチベーションの維持が難しく、長続きしないのです。

 

もちろん、意欲的に取り組めば、簡単にマスターしてペラペラ話せるようになる訳ではありませんが、何かを会得する過程において、「やってやるぞ!!」という気概は必要不可欠であるように感じます。

 

少し前ですが、「英語を話せるようにならなければ......」と俄かに思い立って、オンラインや対面での英会話学習に励んだことがあります。

 

資格試験が念頭にあったので、それが大きな動機づけとなり、1年くらい継続的に学習できていました。

 

しかし、試験で満足のいく結果を得ることができた後は、マラソンを完走したみたいに力が抜けてしまって、結局学習は止めてしまいました......。

 

皆さんは、外国語とは、どのように付き合っていますか?

 

 

紹介文

 

地球にちりばめられて (講談社文庫)エクソフォニー――母語の外へ出る旅 (岩波現代文庫)

 

今回は「言語」をテーマに、多和田葉子さんの『地球にちりばめられて』と『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』をご紹介致します。

 

前者は、北欧へ留学中に母国(「鮨の国」と表現されています)が消滅したため、ヨーロッパで生き抜くために、

 

独自の言語である<パンスカ>を作り出して、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る主人公hirukoの物語です。

 

後者は、ドイツで生活しながら、日本語とドイツ語で精力的に執筆活動を行っている著者が、”越境作家”として経験してきたこと、考えてきたことなどを書き記したエッセイとなります。

 

多和田さんの著作は初めて拝読したのですが、その言語感覚に圧倒されました。

 

洋書を日本語訳で読むとき、自分の語学力は棚に上げて「不自然な翻訳だなぁ......」と思ってしまうことがありますが、

 

『地球にちりばめられて』では、「登場人物たちが異なる言語を母語としている」という前提があるため、日本語で書かれた作品にも関わらず、リアリティのある”不自然さ”が巧みに演出されています。

 

その不思議な言語感覚のルーツを、『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』で垣間見ることができます。

 

日本語とドイツ語で文章を書いている著者は、「あなたはドイツ人として書いているのか、日本人として書いているのか」と聞かれて、戸惑ってしまったといいます。

 

その問いに対して、著者は以下のように述べています。

「どこの国の人間として」というような感覚はわたしには分からない。

誰の中にもいろいろな文化と言語が混在しているのだと思う。

 

多様性が叫ばれる昨今、言語が果たす役割は小さくないと思います。

 

自分を含め、人は理解できない事柄に対して、恐怖心を抱き、自身を守ろうと保守的になるときがあります。

 

特に言語の壁は大きく、何を言っているのか分からない相手と意思の疎通を図ることは、勇気が要ります。

 

もし、言語の壁を崩すことができたなら、「どこの国の人間」という枠組みを超えて、新しい気持ちで世界と向き合えるかもしれません。

 

本棚の奥から、英会話の参考書を引っ張り出そうかなと思います。