2019年12月3日、4日、舞台『坂本龍馬』の風景(その2)越前福井藩主松平春嶽からの資金調達! | 塩川blog(司法書士・行政書士・宅地建物取引士)

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みなさま、こんばんは~~~コーヒー星空花火赤ワイン

 

西暦2019年10月27日(日)、午後8時からのブログアップですアップアップアップぶどうぶどうぶどう

 

 

本日は、12月3日(火)、4日(水)両日、渋谷伝承ホールでの舞台公演『坂本龍馬』の歴史的背景を、(その1)に引き続き検証していきます。

 

(その1)で、舞台では勝海舟との対面を坂本龍馬は果たします。それも、国賊勝海舟を斬りに、小千葉道場師範、千葉重太郎とともに訪問したとの設定ですが、
 
坂本龍馬にとって大恩人となる越前福井藩主松平春嶽が、坂本龍馬に勝海舟への紹介状を書き、その紹介状をもとに勝海舟に会いに行き、弟子となったというのが史実であるとされているようですね。
 

 

この松平春嶽と坂本龍馬が対話をすることとなったきっかけは不明ですが、有力説としては、坂本龍馬が剣術修行をしていた玄武館(小千葉)道場の師範千葉貞吉が、福井藩の剣術指南役を務めており、その伝手(つて)で会ったのではないかとのことです。

 

 

さらに、松平春嶽は坂本龍馬の志や人間性に惹かれ、福井藩の顧問をしていた横井小楠(よこいしょうなん)にも紹介状を書き、幕末の十傑と言われたた横井小楠とも対面することができるようになったようです。

 

 

※横井 小楠(よこい しょうなん)

日本の武士(熊本藩士)、儒学者。横井 時存(よこい ときひろ/ときあり)とも呼ばれる。

熊本藩において藩政改革を試みるが、反対派による攻撃により失敗。その後、福井藩の松平春嶽に招かれ政治顧問となり、幕政改革や公武合体の推進などにおいて活躍する。明治維新後に新政府に参与として出仕するが暗殺された。

 

土佐脱藩浪士であった坂本龍馬が、越前福井藩主である松平春嶽(徳川政権の政事総裁職も務める)に直接会って対話したり、交渉をも行ったりしたというのは、普通では考えられないと思いますが、

 

 

時代の先端を行く両者を惹きつける『何か』が、その場にはあったのでしょうね。

 

 

さて、1863年5月、幕府軍艦奉行勝海舟は、神戸(生田神社馬場先海岸東寄り)に幕府の海軍の人材育成を行う海軍操練所の開設につき、将軍家茂への直談判を行うことで許可を得ました。

 

そして、開設資金3千両が幕府から出資されました。さらに、私塾を開くことも許され、これが操練所の前身となる神戸海軍塾となります。

 

勝海舟は、神戸海軍塾の資金調達のため、坂本龍馬を越前(福井)へ派遣し、越前福井藩主松平春嶽に資金調達の依頼交渉を託します。
 
 

この時龍馬は、神戸海軍塾が国防に必要なこと、海軍の展望などを熱く語り、5000両という大金を借りることに成功しました。

 

福井藩、当時の財政はどうだったのでしょうね。今で言うと、約11億円近くの資金を出すということのようですけど・・・・・!?

 

 
この太陽系第三惑星の人類様の社会では、未だもって、貨幣経済が機能しているから、

年老いて、お金がないダースちゃんには羨ましいお話しでござるでニャ~~ングラサンロケット

 

そうだね、ヨーダレオ卿~~~黒猫おとめ座三毛猫にんじんにんじんにんじん

 
太陽系第三惑星さまでの生命体として、
 
 
『志』の低い(??、ハゲシオジーには、
 
『誰も、一円も貸してくれないよ・・・爆弾UFOカラオケ叫び叫び叫び叫び叫び叫び叫び
 
さて、
その後、1864年5月に幕府は海軍操練所を開設、幕臣の子弟たちは操練所の寄宿舎で、龍馬ら旧塾生と諸藩出身者は海軍塾に居住し、練習に励むことになりました。
 
 
舞台では、このところの場面はありませんが、
 
京伏見の船宿寺田屋における、土佐勤王党の武市半平太達との問答において、海軍操練所の話題が中心となります。
 
土佐勤王党の志士達と、坂本龍馬、岡田以蔵等の舞台場面をご期待ください。

 

なお、1864年6月に起きた“池田屋事件”と、池田屋事件に端を発する“禁門の変”(1864年7月)に海軍塾生が加わっていたことから、海軍操練所は“激徒の巣”と幕府から疑いをかけられ、
 
勝海舟には10月に帰国命令が出され、さらに、軍艦奉行の職を解かれ、翌年3月には創設から1年も立たないうちに海軍操練所も正式に廃止されることになりました。
 
しかし、海軍操練所は廃止されるも、坂本龍馬にとっては神戸海軍塾・海軍操練所で学んだこと、そこでの人との出会い、後に龍馬と共に歩むこととなる陸奥宗光など、後の亀山社中・海援隊への活動に繋がっていきます。
 
 
 
 
それでは、
 
シオジー、今回は芸名、倉田義弘で出演いたします。
 
京都所司代見回り役『山本』と、勝海舟先生の下男『仁平』 の二役を仰せつかっております。
 
京都所司代見回り役の機能については、また、別の機会に。
 
坂本龍馬暗殺を執拗に試みた京都所司代役人達の、『使命』とはということも、当時の状況では必然のことであったということから検証しなければならないでしょうから。
 
それでは、
 
みなさま、
 
おやすみなさいませ~~~カップラーメンロゼワインハロウィン乙女のトキメキベルベルベルベルベル