西暦2019年10月24日(木)、深夜10時前のブログアップです。
雨降りしきる三重県北部地方、
西暦1600年10月20日、美濃大垣城での降りしきる雨は、
今日のような冬の到来を誘因する冷たい雨だったのかもしれませんね。
松尾(新)城を突如制圧した、小早川秀秋公の
徳川方への裏切りが明確となった以上、
大垣籠城、もしくは、南北朝の内乱時のような、第二の青野原野戦を美濃垂井周辺でと、
西軍大垣城総帥、宇喜多秀家公、名将島津義弘公、小西行長公等はイメージしていたのではないかと、
シオジー勝手に考えているのですが、事態は急変してしまいました。
大津城を落とした九州方面の西軍最強部隊1万5千余が、
早ければ、10月22日には美濃山中周辺(関ヶ原近く)に到着するかもしれないという予想がたてられていたかどうか、
シオジーの知るところではありませんが、小西行長公、島津義弘公等は、籠城、赤坂の東方軍勢への野襲を進言したとも言われています。
秋の冷たい、深夜に降りしきる雨は、何を物語っていたのか、
石田三成公は、美濃山中村(黒地川)周辺への夜間の移動を敢行しましたね。
小牧長久手戦のように追尾戦が大変得意な家康公に対して、中途半端な転進作戦を、
大津城を落とした九州の部隊の到着を待たず行ってしまったことが、最大の敗因となってしまいました。
どうせ西への転進(撤退)を敢行するなら、
一挙に佐和山城周辺まで行い、
大津、京都、大坂周辺に展開する西軍各部隊の近江への集結を至急に行うべきであったのかと考えますが、
歴史的事実は、家康公の圧倒的追尾戦勝利となりました。
さて、4百年ほど前とは異なり、
先日、名古屋駅前近くのカラオケ店で、小一時間歌ってましたら、
イタリア古典歌曲『Caro mio ben 』があったので、チャレンジしてみました。
故ルチアーノ・パヴァロッテイ先生の歌い方を真似してみました。
このカラオケ店では、キーが嬰ホ長調でしたので、何とか、こなすことがてきました。
いつか、リサイタルが出来ればいいなと、見果てぬ夢ではありますが、
淡い希望を抱いた次第です。
シオジーは、学生時代、ドイツ音楽の歌唱法の指導を受けましたので、
ドイツ・リートを中心とした曲目となりますが、
来年早々、余裕があれば、大阪のシューベルト協会の一般向けレッスンを受講しようかなと考えています。
あ、いつの間にか、日付が25日になりました。
みなさま、
おやすみなさいませ~~~