悪役、盗人役をするなら、再度、『第三の男』をじっくりと見直すのも・・・??? | 塩川blog(司法書士・行政書士・宅地建物取引士)

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皆さま、おはようございます&こんにちは~~~さくらんぼコーヒーカップラーメン

 

 

またまた、台風が列島を通過する西暦2016年10月5日(水)、夜8時前のブログアップでございます台風波雨雷

 

そろそろ、三重県四日市市地方も風が強くなり始め、雨足も強さを増してきつつあるようです。

 

 さて、昨日、演劇仲間の皆さまが早々と台詞をいれ、本格的な演技を追求し始めた頃、ダースシオジジは泥棒役の台詞を入れるのに苦しんでおりました。というよりは、泥棒役をどう理解したらいいのか、まったく真っ白の状態で役作りに臨んでいるということになるのでしょうか・・・?

 

 一時は、小説『レ・ミゼラブル』より、ジャンバルジャンを演じた方々(ミュージカル、劇場映画等)の過去のイメージを繰り返し繰り返し脳裏に浮かべたりしていたのですが、

 

 

 『悪』役という観点から、20世紀サスペンス映画の金字塔「第三の男」からハリー・ライムを演じたオーソン・ウェルズをイメージしてみようかと考えました。

 

 

 ここで、映画『第三の男』となると、先日は一方のデヴィット・リーン監督作品についてブログ上呟きましたが、今日は、もう一方の英国の巨匠、オリバー・リード監督のお話になっていきます。

 

 

 正直なところ、ダースシオジジは、リーン監督作品も、リード監督の作品も、その晩年に制作された作品を映画館で観たにすぎず、初期の作品の多くは、テレビ画面を通じて観るという状況でした。

 

 

 ですので、リード監督の作品で映画館で観た感想をと求められると、1973年に観た『Follow me』となってしまうのですね。ミア・ファロー主演のこの映画について、何をリード監督は描きたかったのかチンプンカンプンでした。1976年に急逝したリード監督の遺作となってしまったのに・・・アセアセ!???

 

 

そして、チャールズ・ディケンズのオリバー・ツイストを原作にライオネル・バートが制作したミュージカルの映画化作品で『オリバー!』、1968年の作品ということでつきてしまうのです。

 

 

なので、ここでは、テレビ画面で観た『第三の男』から、悪役「ハリー・ライム」を演じた「オーソン・ウェルズ」を中心に、彼をどのような存在として位置付けたか、暗黒面のフォースの力を、ブラック・ホールのみで発揮するのではなく、

 

 

この太陽系第三惑星においても現生人類の皆様にも発揮しようと試みるダースシオジジが、

キリスト教信仰の方々が何故このような『神を冒涜する・・・!??』作品を1949年、第二次大戦後の荒廃したウィーンを背景に展開させたのか、映画評論家の町山智浩先生の解説を参考に考えてみます。

 

 町山先生によると、この作品は、ハリー・ライムというペニシリンの密売を業とする男が、悪役として『人間の善意』を徹底的に叩くというところにあるとしています。

 

 ニーチェ先生の言葉を借りれば、

  • 善とは何か−人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。

  • とは何か−弱さから生ずるすべてのものを言う。

  • 生きることはなんのことか、 生きるとは、 死にかけているようなものを、 絶えず自分から突き放していくことである

と定義されることを引用され、この作品は、脚本をグレアム・グリーンというカトリック作家が執筆した。しかし、彼は純粋な意味でのカトリック信者ではなく、惚れた女性がカトリック信徒であったため、彼女を得ようとして入信したに過ぎず、婚姻後も彼女を作り、カトリック信仰を馬鹿にするような行動を行っていたと町山先生は解説されていました。

 

 女性を買い捲るコールガールのシーンなどはその象徴であるとされています。何故、ここまで、正義・絶対なる神・その哲学に対して、それを貫こうとする人々をサターンの世界に誘引するのか。「偽善をあばいて、悪に引き込むこと」が、ここでの悪役の役割であると解説されています。

 

 ナチに対する聖戦のために、大量爆撃を行い、罪のない市民を殺戮した米国、原子爆弾を投下した米国、ユダヤ人大量虐殺を行ったナチズム、同様に粛清を繰り返し数千万人の同胞を虐殺したソビエト、どの時代にも共通する権力構造・・・。

 

 

 いや、「弱者達は、魂が貧しいのだ、優れた人間は劣った人間を殺してもいいのだ」というドストエフスキーの『罪と罰』の世界を、オーソンウェルズ役のハリー・ライム役のオーソン・ウェルズに『死んだほうがいい奴は、殺したほうがいいんだ』と表現させ、悪役の存在を際立たせています。

 

 

 正義・哲学を持っている太陽系第三惑星の人類様に、正義は正論であり、闇の奥の世界は狂った思想に満ち、『悪役』とはその正義の信奉者に揺さぶりをかけ、その偽善性を問うものであると、映画評論家の町田先生は説明されていたと思います。

 

 

 この作品は、キリスト教社会のバックボーンとなる神の存在、イエス・キリストに対する、ユダ的な人間、サターンの登場、聖母マリアの存在等々、作品中の登場人物にオーヴァーラップさせるものが根底に存在するとされます。

 

 なお、この作品の描き方自体については、ドイツ出身のフリッツ・ラング監督(ナチ台頭により米国へ亡命)のサスペンス作品『M』(1931年度作品)を踏襲するところが多いとのことでした。

 

 また、作品中ハリー・ライムによる台詞「ボルジア家支配のイタリアでの30年間は戦争、テロ、殺人、流血に満ちていたが、結局はミケランジェロ、ダヴィンチ、ルネサンスを生んだ。スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義はいったい何をもたらした? 鳩時計だよ」は、グリーンが執筆した脚本の草稿には存在せず、ライム役を演じたオーソン・ウェルズの提案によるものであるとのことですね。

 


 なお、製作者の一人、デヴィッド・0・セルズニックは当初ウェルズの起用に反対していたが、最終的にウェルズを強く推薦する監督のリードに同意せざるを得なかったとされ、ウェルズの起用は結果的に正解であったわけですね。

 

 でも、撮影中ウェルズは様々なトラブル(ウェルズがウィーンに到着するのが遅れたために仕方なく彼の代役を立てて撮影したこと、映画のクライマックスである下水道での追跡シーンに出演するのを拒否したことなど)を引き起こしスタッフを悩ませたそうです。

 

 

 なので下水道での追跡シーンは、ご存知の方も多いと思いますが、オーソン・ウェルズの代役の皆様が演じていらっしゃるということで、現場サイドの当時の状況がどうであったのか、

オーソン・ウェルズ先生にお尋ねしたいくらいです・・・・・オッドアイ猫三毛猫トイプードルうさぎトラねずみオカメインコ

 

 

 

 

 

 

 では、夜も更けてまいりましたので、今日は、このくらいにしておきますね。

 

 

 『悪役』については、キリスト教世界を通してのみではなく、神道、大乗仏教国、八百万(やおよろず)の神の国からの視点も含めて、

 

さらに、考えていきますね。

 

それでは、皆さま、

 

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