皆さま、おはようございます~~
西暦2016年2月20日(土)、
三重県北部地方は、雨でございます。
さて、今週2月17日(水)四日市中日文化センターで、
吉田千草先生の『緊張しない話し方教室』を受講しました。
当日のレッスン内容は、朗読、『吾輩は猫である』の冒頭部分を読むという時間でしたね。
今年は夏目漱石先生の没後100年(1916年12月9日)、来年は生誕150年(1867年2月9日)となるようです。
猫ちゃん、ヨーダレオ卿の存在を意識しながら、朗読にのぞんだところ、
吉田先生から、ダースシオジジイは、朗読向きのような含みのあるお言葉をいただきました。
(今朝のレオ卿です)
人を見たら泥棒と思えと云う格言は寒月二世の行為によって、すでに証拠だてられたが、
人を見たら猫食いと思えとは吾輩も多々良君のお陰によって始めて感得した真理である。
世に住めば事を知る、事を知るは嬉しいが日に日に危険が多くて、日に日に油断がならなくなる。
狡猾になるのも卑劣になるのも表裏二枚合わせの護身服を着けるのも、
皆事を知るの結果であって、
事を知るのは、年を取るの罪である。
老人にろくなものがいないのはこの理だな……。
ヨーダレオ卿、珍野苦沙弥家でなく、
ダースシオジジイと棲息するのは、
どんな、風景何だろう……
漱石先生の作品から、学生時代、
多くのわけのわからない、『自我』に苦しむ人間という生命体の有り様を学んだけど、
原始時代に戻れず、
銀河宇宙の世界に突進していく皆様に、何か言いたいことは……?
『漱石先生の時代も、今も、
自己チュウ(苦しみはない?)、自我に目覚め苦しむもの、人間さまは様々だけど、
僕のキャットフードは頼んだからね~~
』
ヨッシャア~~
ヨーダレオ卿、
宇宙船の中でも、よろしくね~~~