こんばんは~~~
冬景色の三重県北部地方です~~
寒い一日となりました………
さて、古代イングランドの8~10世紀の状況にワープする前に、
セレブの話題を~~~
女優、映画プロデューサー、ファッションモデルのアンジェリーナ・ジョリーとの結婚が囁かれているブラッド・ピットが、1980年代に書いたラブレターが発見されたとのこと………
ブラッド・ピットが下積み時代に書いたラブレターらしく、当時の恋人で女優のジル・ショーレン宛のもの。
しかし、この恋は、ブダペストでロケ中のジルがブラッドにラブコールを送っているのを知ったブラッドが、
一目散にブダペストにいるジルの元へむかったところ、すでにジルは映画監督と恋に落ちており、駆けつけたにもかかわらずブラッドはフラれる結果に………
悲惨な結末となったわけですが、手紙には、『君を永遠に愛し続けるよ……』などと、熱烈な文面であったようですが、誰しも、二十代は薔薇色の未来が永遠に続くと思いますよ~~~~
え、誰でも………
バッカだニャ~~ン、ギャハハハハハハ~~~~
さて、冷静になって8~10世紀頃のイングランドにワープいたしまする~~~
前回12月22日付けブログで、8~9世紀頃のヴァイキングのイングランド侵攻についてふれましたが、
イングランドには、主に現在のデンマークからの北欧人が主流で、ノルウェー方面からのヴァイキングも混入していたが、彼等は主にアイルランド、アイスランド方面に、スウェーデンのヴァイキングは主にロシア方面、北方ドイツ、フィンランド等に侵攻したようですね。
さて、9世紀にデーン人がイングランドに侵入し、定住を開始したアングロ・サクソン諸王国のうち東部地域は、デーン人の法が支配することとなりました。
但し、北欧人とアングロサクソン人との違いと言っても、もともと、アングル人、サクソン人、ジュート人、フリージア人の故地はユトランド半島地域若しくは北ドイツ北海沿岸ですので、人種的にも、主に、金髪、長身、碧眼を特徴とするゲルマン人ですので(彼らの奴隷人は人種的に異なったか?)、
デーン人とほぼ重なる人種的特徴で、言語も、ほぼ近い西ゲルマン語、デーン語(北ゲルマン語)ですので、8世紀の略奪を主とした侵攻から、10世紀頃の平和裏に定住化を目指した時代になると、イングランドの北欧化が加速される結果となりました。
しかし、9世紀には、イングランドに続々と押し寄せるデーン人に対し、アングロ・サクソン諸王国は、共通の敵との争いに対応しなければならず、
ウェセックス王アルフレッド(在位871~899年)が、アングロ・サクソン人を統一し、単一のイングランド王国を確立する好機となりました。
アルフレッド王は司法に深い感心を持ち、司法組織に改革を加え、大学と教育機関の復興を手助けし、イングランド中またはヨーロッパの各地から学者を宮廷に召還して、彼等にラテン語の書物を古英語に翻訳させました。
また、誤った判決を下した裁判官を戒めたり、アングロサクソン年代記の執筆について指揮を執ったり、王がウェセックス王国のために作った法の前文で、ケント王エセルビリフト、ウェセックス王イネ(在位688~726年)、マーシャ王オファ(在位757~796年)の法をも研究者とともに学んだと記しています。
おそらく、アルフレッド王は、イングランドで多種多様の法を照合した最初の人であったのではとされます。さらに、このような文化作業の結果、ウェセックス王国の政治的な優位が確立し、この時代の西サクソン方言が古英語の標準語となったとされます。
また、王は地方的差異を根絶しようとはしなかったようで、20世紀まで各地域での独特の慣習法が残された例がありますーーー(ケント州独特な慣習法など)。
さて、次回は、北海帝国を築いたイングランド、デンマーク、ノルウェー王カヌート、そして、ノルマンコンクェスト(1066年)と進んでまいります。
コモン・ローの発生、共同体の裁判権についても、触れていかなけれはなりませんので、先を急ぎたいと思います。
お休みなさい~~~~~
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