レディー・ガガ、ぱみゅぱみゅ処刑?『古代から現代までの法学世界旅行(英・独編④)』 | 塩川blog(司法書士・行政書士・宅地建物取引士)

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こんばんは~~~星空三日月雪





12月の日々も、粛々と過ぎ行きます。



さて、本日も古代から現代にワープ(はてなマークはてなマーク)いたしまするなり~~にひひ




では、前回に引き続き、ブリタニア島の歴史を振り返る前に、本日のセレブ登場で、稀代の空飛ぶコスチューム歌手、レディ-・ガガ様の話題を~~目




11月末に来日したガガ様が、11月29日、何とMステに出演したかと思ったら、



きゃりーぱみゅぱみゅちゃんを『公開処刑』しちゃったとのことで(Twitter 上)~~~叫び爆弾ダウン













まあ、日本大好きなガガ様は理解できるのですが、『ニホンのモンスターたちに会うのが楽しみです。アイシテマス。』ということで、来日していただいて、何をなさるのかと思いきや……ショック!





枚目の最新アルバム『アートポップ』は日本最速発売だし、日本のカルチャアーにインスパイアされたとのコメントで、日本のリトルモンスターたちに、メッセージを送りたかったんだろうけど……メラメラ爆弾





でも、ぱみゅぱみゅちゃんは、日本の普通の女の子だし、世界のアート(はてなマーク)、音楽界を席巻するガガ様とは、現段階では、天と地の差だし……ショック!ダウン





ここ2年ほど、ガガ様のFB(フェイスブック)上でお世話になっているダースベイダーシオGとしましては、




ガガ様に圧倒されて落ち込んでしまったきゃり-ぱみゅぱみゅより、『セーラームーン』か、『千と千尋の神隠し』のカオナシあたりで勝負していただいて、





宇宙に、それも、四次元か五次元宇宙で勝負していってもらいたいですよ~~~パンチ!!!




(質問)
え、ガガ様は美少女戦士になれるのかだって……はてなマーク

回答)
その疑問は、太陽系第三惑星のカルチャアーを基準にするから起こるだけのことですよ。




少し長くなりましたので、古代のブリテン島にまいります。



さて、紀元五世紀の最初の四半世紀にローマ人がブリテン島から退くと、混乱の中で再びケルトの部族的伝統への復帰がみられたようで、


その一方、ローマ人により持ち込まれたキリスト教会は、ブリトン人の間に広まっており、宗教上の権威をめぐり、ケルト人の宗教の僧侶ドゥルイド僧団との争いがあったとのことです。




しかし、ローマ人のブリテン島からの撤退に伴い、傭兵の必要性から、大陸の北ドイツ方面からサクソン人を招聘し、警護部隊としていたがブリテン島に傭兵化していたサクソン人は、故地である北ドイツから、ゲルマン民族大移動の波とともに、各部族の大挙移動、移住を開始しました。






その流れは、ユトランド半島の基部方面に定住していたアングル人、その北部ユトランド半島西部に居住していたジュート人、フリージア諸島のフリージア人にも広がり、移動を開始。



当初は、激しく抵抗するブリトン各小王国に撤退を余儀無くされた時代もあったようですが、故地である北ドイツ、フリージア諸島を根拠地及び経由地とし、長い時間をかけ、ブリテン島のケルト人をブリテン島西部、南部方面、アイルランド、フランス・ブリュターニュ方面へ駆逐しました。





しかし、彼ら西ゲルマン人の侵攻は、徹底的な破壊を伴う地域が多く、ブリトン人の文化を駆逐し、同じゲルマン民族の移動の中で、アングル人の土地として後に命名されたイングランド国土は、西ゲルマン人部族が、その人口構成上優位をしめ、西ゲルマン語の低地ドイツ語である英語として、21世紀の現在、世界の言語として君臨しておりますね。





ところが、東ゴート族、西ゴート族、ヴァンダル族、ブルグント族、スエヴィ族、ランゴバルト族、フランク族のように、ごく少数部族の移動でイタリア、スペイン、フランス、北アフリカ等に定住しても、ゲルマン言語は消滅してしまい、定住地の民族言語に吸収されてしまっています。




さて、ゲルマン民族の大移動の歴史的流れの中で、イングランドに大挙定住した、アングル、サクソン、ジュートの各部族は、やがて、七王国(へプターキー)を建設し、ノーサンブリア、マーシア、イーストアングリア、エセックス、ウェセックス、ケント、サセックスの各王国が、覇権を争うようになります。



この7つの王国が並立した829年までのおよそ380年間を七王国時代といいます。そして、当初有力であったのはアングル人の王国であったため、ローマはこの地をアングリア、アングル人の土地と称したようです。



757年~796年まで在位した、アングル人の王国マーシアのオファ王は、イングランドに覇を唱え、フランク王国のシャルルマーニュとも対等にわたり合う勢力を示しましたが、



最終的に統一を果たしたのは、サクソン人のウェセックス王国のエグバート王でした。


しかし、イングランドの統一の最終局面において、八世紀の末頃から、イングランドの北海に面する沿岸部は、アングル、サクソン、ジュート部族に近い北ゲルマン民族の襲来を受けることになります。




『アングロ・サクソン年代記』によれば、北の海賊(後に植民地化し定住者になりますが)ヴァイキングは、787年ポートランドにノルウェーのホルザランドから襲来したと思われる一派(三隻の舟で上陸)が、最初の攻撃であったとされているようです。




今日は、このあたりで失礼いたしますが、法律の話を展開しなければならないところ、大学生時代考古学に一時期没頭し、東アジアは日本、韓国、中国の古代史に、西欧はギリシァ、ローマ、そして、ゲルマン民族の大移動、北欧民族(ヴァイキング)の移動に興味をもっていましたので、少し、法律の世界から離れてしまいました。




では、また、イングランドの歴史を進めてまいります。




おやすみなさい~~クラッカー







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