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かんとれ!

考えるトレーニング。
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アカデミックな考え方のことを、「机上の空論」だと言ったりする。





確かに、机の上だけで考えるため、そういわれても仕方ない側面はある。






しかし、前回ブログに取り上げた物理学者達による、




100年にもおよぶ本当の真実への数式のアプローチは、



単に、「机上の空論」だと言って軽んじることができるだろうか?







では、視点を変えて「机上の空論」と反対の考え方とは何だろか?




すぐに思いつくのは、実践が伴わないと意味がない、「ビジネス思考」だ。







ビジネス思考は、正解なら利益がでるし、不正解なら損失がでる。






であれば、「ビジネス思考」は、「アカデミック」なアプローチより、優れているのだろうか?







(つづく)





NHKの特集で、「神の数式」という番組を見た。





この世の中が何から出来ているのか、



物理学者が一つの「数式」で表そうとしていることを、




取り上げた特集番組だった。






この世は、一つの数式で表すという取り組みを、




物理学者たちが始めたのは、100年ほど前からだ。






トップレベルの物理学者たちが、その解明に没頭してきた。







そのプロセスの中で、発見されたのは、



この世の森羅万象には「対象性」があるはずだということだ。





「対象性」とは、平たく言うと、「美しいこと」だ。




また、その「美しさ」は、壊れる運命にあることも大発見だった。






美しいが、壊れていく。




自然の移り変わりを、よく言い表した表現だ。







森羅万象の本当の真実へのアプローチ方法は、



数式の解明という方法もあると言うことだ。

最近読んだ本は、これだ。




心を静める (幻冬舎文庫)/幻冬舎
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著者は、心身統一合氣道のトップである。







しかし、内容は合氣道の技を紹介するのではなく、



いかに、「心を静めるか」という点にフォーカスしている。







「心身一如」といい、心身を統一して、



自分を自然と一体化することによって、




本来の力を発揮することが出きると言っている。






全く違う角度からのアプローチであるが、




「出現する未来」で述べられていた、「静寂を聞く」ということと、



言っていることが、同じであることに驚いた。



この世の中、森羅万象の本当の真実とは、



限りなく一つに近いものなのかも知れない。



前回のつづきである。





絶体絶命の宗麟公を守ったのは、


この「丹生島(臼杵)城」だった。





JR臼杵駅から徒歩でも行ける、


小高い山になっているこの城跡は、


その昔は、海に浮かぶ島だったのだ。



現在の臼杵市街の大半は海の中であったといえる。




海に浮かぶ要塞「丹生島城」!





島津勢も攻めあぐね、当時の狭い臼杵の町の中で


立ち往生したことだろう。





結局、この局地戦では、宗麟公が勝ちを収めた。




そして、これを境に、また豊臣本軍との対戦もあり、


島津勢は劣勢に立たされ、退却を始めるのである。






この臼杵城を事前に築城していた、


宗麟公の先見の明に脱帽だ。






(完)



前回の続きである。






絶体絶命のピンチに追い込まれた宗麟公であったが、


彼は、豊臣秀吉に救援を求めたのである。




この辺の政治感覚は、やはり只者でなない。





そして、本拠地の府内(大分市)は、家督を譲った大友義統にわたし、


自分は、丹生島(臼杵)城に隠居する。



そこに、島津勢が押し寄せてくる。



この窮地に、豊臣秀吉が10万の軍を派遣してきた。



さらに遅れて、秀吉自ら10万の軍を率いて九州に入ってきた。


10万といえば、関が原の戦いに匹敵するくらいの数だ。


その2倍の軍(いや九州の島津と対敵する軍を合わせるともっと)と、


島津勢は対抗したことになる。





この援軍を引き出した、宗麟公の外交手腕は、


一流だったことの証と言えよう。





大友氏が滅亡寸前に、駆けつけた秀吉軍。




先発隊の千石秀久や長曽我部信親らは、


「戸次川の戦い」で、島津勢に敗れてしまい、


緒戦では、島津勢が優勢だった。





勢いに乗った島津勢は、大友義統がいる府内城と、


宗麟公のいる丹生島城に手勢を分けて進軍してきた。





絶体絶命の宗麟公は。。。




(つづく)







前回の続きである。





大友宗麟公は、波乱万丈の生涯を送っている。




大内義隆が、陶晴賢に撃たれると、


自分の弟の大内義長を後継者として送り込み、


当時は、中国地方もその影響下に置いた。



毛利氏が台頭してくると、中国地方の覇権は失うも、


大内領内の筑前、特に博多を傘下に納めたことが

その後の発展につながった。




一時期は九州北部をすべて勢力下に納めたが、


キリスト教への改宗により、家臣団と不協和音が生まれるようになる。





島津との決戦で敗北を喫したり、


肥前で勢力を拡大しつつあった龍造寺隆信にも敗北し、


急速にその権勢が衰えてしまった。




それ以降、しばらくは「九州三国時代」といわれる均衡が保たれたが、


このブログでも取り上げた「沖畷田の戦い」で、


龍造寺隆信が、島津勢に撃たれると均衡が破られてしまった。





今度は、島津勢が総力を挙げて、大友つぶしに動いたのである。




(つづく)



私の会社の事務所は、大分にもある。





ここの所長も兼務していたのだが、



メンバーを格上げして、今は任せている。







しかし、自分が責任者であることには変わりなく、



たまにこの事務所に顔を出す。







当社の大分事務所は、大分にはなく臼杵市にある。



臼杵城跡のちかくにあるのだ。







これまで、あまりにも近すぎて寄り付きもしなかったこの城跡に、

はじめて興味を持ち、立ち寄ってみた。




結局、この日は時間がほとんどなく、奥まで行くことは出来なかったのだが、




戦国のむかしに想いを馳せることができた。






ここで、大友宗麟公が奮戦していたのだと。。





(つづく)



「人は石垣、人は城」





武田信玄の有名な言葉である。



武田家の歴史書である「甲陽軍艦」に載っている。







ところで、城に石垣が使われるようになったのは、いつからだろうか?



古代の城にも、石垣が積上げられていた形跡があり、その歴史は古い。





しかし、現在我々が目にするいわゆる「城らしい城の石垣」のルーツは織田信長に始まる。






織田信長は、生涯、城を転々と変えてきた。




勝幡城で生まれ、那古野城で育ち、尾張統一後は清洲城を拠点とした。



桶狭間の戦いに勝利して、美濃攻略のため、小牧山城に拠点を再び移す。









この小牧山城で、初めて石垣が高く積上げられた城が築かれたのである。



これは、敵対する回りの諸将を威圧する効果を狙ったものだったが、




たいそう格好良かったのだろう。



その後、そのスタイルを真似る城が続出するのである。







それ以前の城は、どちらかと言うと、「館」という感じだったのではないだろうか。



だから、戦国大名の家来は主のことを「お館(やかた)様」と呼んだのかもしれない。







このように、立派な石垣をもつ小牧山城をつくった信長のうわさは



甲斐の信玄の耳にも入ったにちがいない。





そして、羨ましさ半分、「人は石垣、人は城」と言ったのでは?






このように考えると、この言葉はまるで、




才能溢れる他球団の選手の活躍をひがんでぼやく、



野村監督のコメントのように聞こえてくる。







小牧山城の築城は1567年、甲陽軍艦の完成は1586年。




信玄が、いつこの言葉を言ったのかは定かではないが、




このような背景があった可能性は大いにあるだろう。





前回の続きである。



今まで長々と、一週間にわたって、本書の要約を書いてきた。


それくらい、本書は私にとってセンセーショナルだったのだ。



ついでに、その要約を元に、フローチャートも作成してみた。


以下はそのスキャンデータであるが、画素数の絡みで、文字は読めないかもしれない。



雰囲気だけでもわかっていただければ本望である。




かんとれ!



(完)

前回のつづきである。




本書の要約は、今日で最後である。





・ひとりひとりが果たしている役割に気づかない限り、状況は何も変わらない。現代技術を動かしているのは、力への欲望だけではない。技術無しでは生きられないという恐怖感だ。




・症状を解消する方法は、①対処療法、②原因療法、の2種類がある。対処療法は、細分化された技術・科学や西洋医術などに代表される。一方、原因療法は、自然やひととの一体感の中での成長を促し、漢方医術などに代表される。



・対処療法が主流となっており、人間が科学や技術への依存度を深めていることと、断絶や無力感が強まっていることは同根である。この構造に気づけ!




・個人は、薬やアルコール、タバコがやめられない。企業は、コスト削減の利益改善がやめられない。政府は宝くじ、農家は農薬がやめられない。



・出現しようとしているのは、科学、精神性、霊性、リーダーシップを統合したもの。




・従来の人や組織は、スピードを上げると同時にスピードを落とす必要性に迫られている。自分を見つめ、深く学ぶ必要性が高まる一方、そうしてはいられないという重圧も高まる。



・己を変えるほど、難しいことはない。




・誰しも生まれながらに運命や目的が定められている。人生はそれを見つける旅。



・今の生き方と、自分達が作り出した監獄の中で、思考の役割を見つめることから始まる。自分自身の考え方に気づき、「心を静める」ことが出来て初めて「自分達の考え」という監獄から抜けだせる。




・人間は2つの相互依存的な秩序の中に存在。①顕在化された領域、②「如」:物事を超越した宇宙。
 →人間は、2つが交錯した場所に存在。(仏教)




・西洋では神が外にいて、東洋では神は内にいる。



・愛こそが知を高める唯一の感情である。愛は人と人とを結びつける。




(つづく)