「人は石垣、人は城」
武田信玄の有名な言葉である。
武田家の歴史書である「甲陽軍艦」に載っている。
ところで、城に石垣が使われるようになったのは、いつからだろうか?
古代の城にも、石垣が積上げられていた形跡があり、その歴史は古い。
しかし、現在我々が目にするいわゆる「城らしい城の石垣」のルーツは織田信長に始まる。
織田信長は、生涯、城を転々と変えてきた。
勝幡城で生まれ、那古野城で育ち、尾張統一後は清洲城を拠点とした。
桶狭間の戦いに勝利して、美濃攻略のため、小牧山城に拠点を再び移す。
この小牧山城で、初めて石垣が高く積上げられた城が築かれたのである。
これは、敵対する回りの諸将を威圧する効果を狙ったものだったが、
たいそう格好良かったのだろう。
その後、そのスタイルを真似る城が続出するのである。
それ以前の城は、どちらかと言うと、「館」という感じだったのではないだろうか。
だから、戦国大名の家来は主のことを「お館(やかた)様」と呼んだのかもしれない。
このように、立派な石垣をもつ小牧山城をつくった信長のうわさは
甲斐の信玄の耳にも入ったにちがいない。
そして、羨ましさ半分、「人は石垣、人は城」と言ったのでは?
このように考えると、この言葉はまるで、
才能溢れる他球団の選手の活躍をひがんでぼやく、
野村監督のコメントのように聞こえてくる。
小牧山城の築城は1567年、甲陽軍艦の完成は1586年。
信玄が、いつこの言葉を言ったのかは定かではないが、
このような背景があった可能性は大いにあるだろう。