【第3496回】



ディベート大会に関する

 

ネット記事があって


日本では相手を論破して

自己満に浸ろうとする人が

SNSに多すぎる


ということが

述べられていました。

 

 

正しいディベートは

 

論破せずに勝つということで

 

紹介されたものです。


とはいえ、その大会の主旨も

「議論に勝つこと」

ということなので


相手の主張を踏まえて

乗り越えるという

意味合いでもって、


勝ちとするに違いありません。





僕はこうした大会自体が

無駄のように思います。


多くの議題には

「客観的な事実かどうか」

という要因があって


ディベートを目的として

勝ちを目的とするなら


その事実などが関係ない

ことになるからです。


つまり、多くの人の視点、

経験を糧にしながら

真実にたどり着く、


そのことのために

「議論」という手法が

用いられて初めて


人間にとって有益と

判断せられる、と言えます。





議論にただ勝つこと、

そのための技法の高度化、


それは欺瞞と搾取を

合理化させるに違いありません。


アメリカは法治国家と言いながら


裁判における勝敗の場面で、

先述のような議論の手法を


真実に関係なく用いています。


明らかな嘘があれば

「論破」されるでしょうが


相手の主張を踏まえて

別の角度から乗り越えるなら


思考のレールを敷いたうえで


そこから出られないように

することも可能なのです。





議論の上手さなどは

二の次の話であって


本当に真実を探求したいのか

という「動機」が最も重要です。


そこを蔑ろにすれば


人を貶めて、

自分だけが得をするように

操作をしでかします。


個人的な意見として

ご参考まで。