【第3346回】




連れ添った四五年間ずっと夫に文句ばかり言っていました。

ゴミを出し忘れたとか、自分が食事した皿を洗わないとか。

でもいま、夜家に帰ると彼の笑顔が見たくてたまらない。

彼が庭でよく吹いていた調子はずれの口笛を聞きたくてたまらない。


彼ともう一日だけいっしょにいられるなら、告げたいんです。

あなたはとても素晴らしい教師だった、

あなたは何千人もの生徒にとってだけでなく、

娘たちにとっても素晴らしい教師だった、と。



(p.211「第3の案」

 スティーブン・R・コヴィー 

 キングベアー出版 2011年)



引用は、著者の友人で

教師だった人の妻から


彼の死後、語られた言葉です。


もちろん、この文章の意味は

失って初めて

その真価に気づく


ということに尽きます。


おととし、僕の父が

73歳で急逝したときも


まさしく僕の母親が

引用と同じようなことを

語っていたものです。


僕ももちろん、父の死を

悲しみましたが


そしてそれは

今も変わりませんが


僕は生きているころから

父の真価にはちゃんと気づいて


そのことを態度で

表現していたつもりでした。


だから、父との付き合いで

大きな後悔はありません。


父の生前に、僕には

子どもが生まれて

家庭もありましたから


ただ安寧に暮すことが

いかに大変な労力によって

支えられていたかを


知っていたのです。


それほど馴れ合いを

するような間柄では

ありませんでしたが


孫と触れ合う機会を

たくさん作れたことなど


僕が父親になって

親が望むことも理解できたので


なんとか孝行できたと

思っています。





重要なのは、

違いこそが魅力であって


違いこそが新しい環境を

乗り越える力になる


ということです。


夫婦二人の価値観の違いを

苛立ちのもととするか


互いを補い合う

個性とするかで


関係性は大きく変わります。


そういう意味で、僕の母親は

父と全く違いましたが


だからこそ、幸せに

夫婦生活を送ったのだと

思っています。


どちらかの価値観を

継承するのではなく、


新しい価値を

互いが居ることで発明していく


第三の案としての家庭を


僕も全うしたいと

考える次第です。


ご参考まで。