【第2966回】



今日は、昨日の記事の

補足をします。


昨日の記事では

小林秀雄さんの科学論と


立川談志師匠の落語が

なぜ唯一無二であるか


その関連性について

述べたわけです。





科学は事実を切り取って


限定的な条件や状況を

前提としないと

成立しませんし、


それは統計であっても

同じことと言えます。


ある集団に対する

情報の収集とその方法

という前提がないと


統計としての体を成さない


という限りにおいて

科学と意味は同じです。


現代において、それを

学問と呼んでいるのですが


人間を取り巻く事実を

限定した結果でしか

ありません。





近代文明が成立するのは


その狭められた事実に基く

科学を前提として


人間の方が生き方を

同じように狭めた結果であって


科学が役に立つというより


科学の枠の中で生きる限り、

科学が人間の役に立つ

というだけなのです。


当然ながら、その生き方に


人間としての本質や真実が

含まれることはありません。





談志師匠が落語で

表現したい人間の本質は、


過去に生きた人間を

蘇らせることで

成立するのですから


肉体や経験に依存する

人間そのものに触れざるを得ず、


学問という枠を作る、

落語という枠を作る


などという近代科学の

思考や方法論では


到底達成しません。





もちろん、ものを考える

というときに

学問はどうしても必要です。


それと同時に、

その学問に自らが囚われて、


現実のありのままを

放棄してしまっては

ならないことを


自らに命じておく必要が

ありましょう。


ご参考まで。