【第2883回】




忍耐力イコール精神力という図式が、なかなか消えないのはどうしてだろうか。

まず、第一に、それは免罪符として使用されやすいことである。

「われわれはこれほどの苦しさに耐えてやってきた」という言いわけを、

負けたときに言いやすいのである。

日本のスポーツマンの練習時間が長いことの、ひとつの理由である。



(p.112「こころの処方箋」

 河合隼雄 新潮文庫 平成十年)



河合隼雄さんは好きですが、


欧米文化を奨励する

気配を持った研究者

でもあったので、


こうした解釈も生まれる

のだろうと思います。


特に、彼が若者であった

二次大戦中において


日本の兵隊の

「ヤマト魂」なるものを


非常に嫌悪した

経験をお持ちなので


根性論の残ったスポーツも

同時に嫌悪されるのです。





僕は知り合いから

「人間ではない」

と言われます。


その理由は

ロボットのように

強靭だからです。


どんなに動いても

身体を痛めないし、

疲れも残しません。


スポーツ選手と同じにするな

と言われそうですが、


知り合いの意見は

確かにそうで、


僕と一緒に過ごしてみないと

分からないと思います。


で、


僕がどうやって

このような耐久力を

得たかというと


限界まで体を使うこと

に起因します。


限界まで体を使うと

体が痛くなります。


その時に、痛むポイントに

無駄に力を入れていることが

分かるのです。


そして、痛まないように

体の使い方を試していくと


次から限界が

さらに伸びます。


その繰り返しで行くと

ロボットの様な

強靭さに見えてくるのです。


もちろん、

実際は強靭なのではなく、


痛くならない

姿勢を知っており、


力をかけなくても

力が出る方法を知っている


だけになります。


なにより、ケガの防止にも

大いに役立つのです。





引用に返ると


ただ精神力という指導者は

おそらく、先述の原理を

理解していません。


上手く行っている人を見て

そのまま真似ているだけで


本質が分かっていないのです。


もちろん、ただ耐えていては

怪我を誘因するので


人間を破壊することに

なるでしょう。


つまり、最高の指導者と

最低の指導者は

やっていることが同じ


ということになり、


結果が真逆であることから

たまたまだ、と

見られがちになります。


これではいつまでも

発展性が無かろうと思います。


ご参考まで。