【第2869回】



今、数学の勉強をする。

昨日の英語の点数、明日の歴史の問題が気にかかる。

これを思わないように、気にかけないようにとすれば

ますます気がイライラして、数学には少しも身が入らないようになる。

これが常人の日常における強迫観念である。



(p.127「神経衰弱と強迫観念の根治法」

 森田正馬 白揚社 原書1926年)




引用はあくまで

常人の強迫観念であって、


病的なものの違いを

考える必要があります。


昨日の記事では

執着と表現しましたが


要はその度合いが問題と

なるわけです。


たとえば、引用だと、

どこかの時点で


「今更どうあがいても

仕方がないな」


と納得すれば

執着はなくなり、


強迫観念から

解き放たれますが、


それは個人的な問題と

思えるからと言えます。


大抵の場合は


親が強迫していたり、

教師が脅していたり

するので


その恐怖心から

執着せざるを得ず


強迫観念が増していくのです。


つまり、


今日の点数が悪いのに

明日の点数で


「どうしてでも

取り返さねばならない」、


という思いを他人が

捨てさせてくれない


という状態を指します。





親からそのような

教育を受け続けたものは


何ごとも強迫的に

達成を求めるようになり、


能力が追い付かなければ


強迫が病的な症状にまで

悪化するのです。


もしくは、

他人(妻や子など)に

転嫁することで


安心しようともします。


昨日の記事で問うた

「自分の心」とは


こうした過去の記憶、

執着させられた事実を


現在に照らし合わせる、

そんな作業を指します。


もちろん、現在、

強迫にさらされる環境、

人間関係にあるなら


そのような状況から

脱しない限り、


もしくは徹底反抗しない限り


病が回復することは

ないということです。


ご参考まで。