【第2867回】



今日は僕の父親の


初盆ということで



灯籠流しをやってきました。



精霊流しとの合体が


あったりするので



何が正しい作法か


わかりはしませんが



ともかく故人を送り出す


という儀式に違いなく、



母親などは感傷的に


泣いておりました。



川を下っていく灯りが


なんとも幻想的で



故人の魂が去っていく



そんな風に感じると


悲しくもなるでしょう。





先日は現代人の心の世界が


壊されている



と述べましたが、



さすがに行事や


身近な人の死に接して



信仰イメージを持たない人は


いないでしょう。



問題はそれが人生の有り様、


生活のなかに


反映されることがない、



つまり、死が


人間の生活に意識されず



大事なものを見失う


という点にあります。



残るのは後悔であって



それは満足した生を


取り逃すということです。





テレビで嵐の二ノ宮さんが


インタビューに答えており、



「結婚式にはでないが


葬式には無数に出ている」とし、



それが死を前提とした


人間関係をいつでも意識させる



ということを述べていました。



これはかの田中角栄も


同じことを述べており、



だからこそ人との


率直な関係を作れる



という意味でもあったのです。



ご参考まで。