【第2669回】




息子の中学校で仮病が

流行っているそうです。


おそらく、親も教師も

これを把握していないと

思われます。


息子と僕は信頼関係があるので

なんでも軽く喋っていますが、


このこともその一つで、


ちょっとでも具合が悪いと

休めることに気がついた子供が


簡単にのどや咳を理由に欠席して、


そこから濃厚接触者として

自宅待機者が広がっています。





昨日の記事では


回避が可能だと気付くと

それまで気にならなかった

ものが苦痛になる、


という話をしましたが、


それは女性の家事育児に始まり、

タバコや酒、

車の運転に広がって、


いまや、風邪の症状まで

苦痛になる世の中になりました。


それが、良いか悪いかは

問題ではありません。


人間はそういう精神構造を

持っているという事です。


黒人の暴動が強まったのは


黒人の権利が解放という形で

認められてからのことで


奴隷時代に大規模な暴動など

ありえかなったとのこと。


奴隷を回避できるという

意識が芽生えれば


そこに強い苦痛が生まれ、

命を懸けた戦いが始まります。


いまやこの精神構造を

白人はよく知っています。


つまり、権利を

認めるという事は


個人の苦痛の始まりであって


人間の分断が始まる

ということです。





人間に神がいるという事は


人間の限界を教えることで

逆説の安定をもたらします。


しかし、


プロテスタンティズムは

この世の全てが神の意志

と捉えることで、


この世の強者が

神の意志である、


つまり、強者の意見は

神の意見である


というところまで

傲慢にさせているのです。


だから、神である強者は

この世をいじくりまわしても

何も問題ないし、


それが神の意志である以上

民衆など相手ではありません。


騙すも騙さないもないのです。


このことを理解しないと

陰謀論というワードを

正しく突破できないでしょう。





日本の神は、


自然や現象の

全てを指しています。


だから八百万の神です。


それを証明するかのように

地震、台風、洪水、土石流、

津波、火山の噴火など


人間の意志や行動の

全てを凌駕する現象が


生き方を左右させます。


そのことで、日本人は

傲慢になり切れないのです。


ちなみに、


天皇や軍人や横綱のことを

神と言う場合、


生身の人間ではなく、

宿った力そのものを指して


神と呼んでいます。


だから横綱は

“神懸った”力が抜けたら

横綱を自ら退くのです。


そこはスポーツと

全く違っていて、


勝てばいいというものでは

ありません。


そう考えると

「神懸り」という言葉が

何故在るかもわかります。


それが人間の意志なら

自然災害などありません。


だから、最強の武人でも

朝廷に対して

反旗を翻すような


クーデターを

起こさないのです。


それを起こした幕末の

テロリストは


白人から金でそそのかされた

田舎のヤンキー侍ばかりでした。





女性もセクハラなど

気にしなかったものが


回避できるから

気になりだした、


という意見もあり得ますが、


昔から女性を大事にする

男性は存在するもので、


(伊藤仁斎や中江藤樹など)


あくまで、

男の人格の問題です。


僕の父は去年73歳で

あの世に行きましたが、


我が家の女性に優しく、

男の家事など厭わずに


寛容さを持ち続けました。





人間の相対的判断をする

精神構造を打破するのは


行動経済学でも証明される通り


論理的な思考であり、

広い意味の哲学しかありません。


いわゆる真の学問です。


ご参考まで。