今朝は清々しい青空でした。初秋を思わせる雲です。気分は最

高です。

昨日のブログでも書きましたが、当寺院の住職、坊守は毎朝・夕

、二人一緒に本堂にて「嘆仏偈」を読経し、その後「三帰依文」を

唱和し、最後に「恩徳讃」を歌っています。

その中の「三帰依文」について書きたいと思います。

 

今から約2500年前、お釈迦さまがまだ在世の時、インドの人々

が,お釈迦さまの弟子となるための入門の儀式を行う際、三帰依

文を唱えたと伝えられています。

三帰依文は、真宗大谷派勤行集(赤本)の表紙の見返し部分に

書かれています。朝夕の勤行後や法話の前、帰敬式の時などに

読まれます。
 

自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、

大道(たいどう)を体解(たいげ)して、無上意(むじょうい)を

発(おこ)さん。


自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、

深く経蔵(きょうぞう)に入りて、智慧(ちえ)海(うみ)のごとく

ならん。


自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、

大衆を統理(とうり)して、一切無碍(いっさいむげ)ならん。

 

「仏」とは、お釈迦さまのことです。

「法」とは、お釈迦さまの説かれた真理・教えのことです。

「僧」とは、お釈迦さまの教えを学び伝える人々の集まりのことです。

三帰依文では、『仏さま(お釈迦さま)を敬い、その説かれた教えを

大切に守り、その教えを学ぶ人々の集まりを大切にいたします。』

と唱えているのです。

 

報恩講の登高座では、下記の「三礼文(さんらいもん)」を唱えます。

三帰依文と同じ意味です。

一切恭敬

自帰依 当願衆生 体解大道 発無上意

自帰依 当願衆生 深入経蔵 智慧如海

自帰依 当願衆生 統理大衆 一切無疑

 

三帰依文は、約2500年前から現代に至るまで、広く世界の仏教徒

によって大切に唱え継がれています。