今日は沖縄県にて開業する
骨格調整ビーイングにてインタビューすることができました。
骨格調整を志した経緯、それと通して行う社会貢献活動など、数回にかけてレポートいたします。
骨格調整を通して人との触れあう素晴らしさをインタビュー記事にして報告いきたいと思います。

K氏
[プロフィール]
50代男性 妻子有。沖縄県で骨格調整所を独立開業して6年。経歴は消防官を27年務めるも中途退職。骨格調整所を独立開業。多くの人たちの心と身体を守るため心機一転あらたな仕事を骨格調整に見出す。現在従業員一名で骨格調整所を経営。比嘉進弥とは、HSTIを通して7年の親交となる。人生の意義を自らに問い、参考となってもらうべく、積み上げてきた経験を人と分かち合う情熱にあふれた人。



進弥「前職を教えていただけますか?」


K氏『前は、地元の消防本部で27年つとめたよ。その前職を切り替えるきっかけがあって、骨格調整をするために退職して、骨格調整をすることになった。』



進弥「きっかけって何ですか?」



K氏『僕は若い頃から人生観を常々考える性格で、自分の人生に自分で意味を見いだすことを常としていたんだ。「自分を束縛しない、精神の自由を楽しむ人生であれ!」そしてそれを家族にも話した。』



進弥「家族の誰かが反応したんですか?」



K氏『娘が2人いるんだけど、長女が父親である僕の人生観と現実の生き方に異議を唱えたんだ。「お父さん自身が、自由を束縛されて義務感に振り回されているじゃない!?」って』



進弥「それを聞いて何か感じたんですか?」



K氏『感じるというか、そのとき娘は鬱病で部屋に引きこもっていたから、そんな言葉に大きな衝撃を感じたよ。僕自身が我にかえる想いになれたんだ。娘は壁に向かいながら力ない声でつぶやいた。「人には自由でいろと言っている自分自身が、自由を束縛されて義務感に振り回されているじゃない!?」って言ってたんだ。それは自分に対するメッセージと瞬時に理解できたよ。』



進弥「それですぐ消防署を辞める決意となったんですか?」



K氏『そうだよ。娘に言われた通り、まず父親自身が束縛から解放されないといけないと思った。娘は自分で自由を見いだせていない。父親である自分が先に自由を見つける行動を取る必要があるって考えたんだ。おめでたい性格でしょ。27年勤めた仕事。地位も生活も安泰であるはずなのに家族の幸せを確認できなかった。だから現状を変えてみる必要がでてきた。』



進弥「K氏が仕事を辞めたことで娘さんの状態はその後、どうなっていくんですか?」



K氏『今から7年前、私が仕事を辞める前HSTI骨格調整に出会った。娘をそこに通わせてみたら、自分から家を出て調整に受けに行くようになった。そんな娘を見ながら、もともと整体の技術をもっていたので、僕もHSTI骨格調整を仕事にしてみたいと思ったんだ。ラッキーなことに、そう感じた翌日にHSTI講習会があったから、それに参加してみたんだよ。講習会を受けながら、今の仕事を辞めてこれをやることを決意したんだよね。僕自身の決断があったからか、骨格調整を受けたおかげか、娘もまるで別人のように元気になっていってくれたんだ。』



進弥「消防官を退職して、娘さんと人生を再出発したんですね。」



K氏『そうだね。6年ほど前かな僕と娘と二人で骨格調整所ビーイングをスタートさせたよ。』



進弥「家族一丸となってビーイング丸の船出となった。」



K氏『そう。今も当時と同じ思いで日々過ごせているよ。初心忘れべからずだね。』


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中略
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進弥「数年来、この仕事をやってきて、はじめた当初の情熱と今とお変わりないですか?」



K氏『そうだね。変わらないし、気持ちを長く維持するためにあらたな取り組みを自分で見つけたよ。それは、、、』



K氏『今、市内のとある中学校でボランティア骨格調整をやっているよ。同時に教室に入らないで校内をウロウロしている生徒達の相談役を買って出ている。おせっかいおじさんだけど、僕と生徒達が触れあうことで、より活き活きとした学校生活になっていけるよう願っているんだ。でも活き活きとした元気をいただくのは自分も同じだけどさ。』



進弥「これを行うことでのメリットとかデメリットとか、そういうことを考えず、何かに貢献したという気持ちが高ぶったということですか?」



K氏『そうだね。以前から学校現場を支援したいという想いが強くあった。実際、自分と同じような想いを胸に行動を起こしている仲間もいる。その仲間と同じように自分も地域の学校に何かの形で関わり合いたい。明るい学校にしたい。その想いをいつか行動に変えてみたいと思ってたんだ。こども達の歪みをなんとかしたいという想いが強くてね。』



進弥「その想いは形として実ったんですか?」



K氏『そう考えていた矢先、とある中学校の地域コーディネーターを知り合いから紹介してもらったんだ。その方も、中学校における生徒達を支援する企画を興したいと想いがあった。それを聞いて、お互いに通じ合ったんだ。』



進弥「最近のお話しですか?」



K氏『今年に入ってからこの方と知り合って、新年度の4月からその企画を実行にうつしているよ。今、毎週水曜日朝9時半~12時半まで、学校の指導室に通っているよ。』



進弥「週一回のペースで行っているんですね。どういうことを行っているのですか?」



K氏『指導室があって、そこに待機してるよ。学校側の了解を得て、骨格調整用の器具とベッドをそこに持ち込んでいる。教室からでて校内をウロウロする生徒がそこを訪ねてくるんだ。保健室とか指導室とか行き来しながら自分の居場所を探している生徒がいる。その居場所となってもらうために自分が相談役を買ってでているよ。』



進弥「生徒とのやり取りを聞かせてください。」



K氏『指導室に担任とともにやってきた男子生徒。朝の登校時刻に間に合わなくて、10時頃登校してきた。かなりの側湾症で不眠症。夜遅くまで寝られないらしい。だから反面朝はとにかく眠たい。男子生徒の母親も子供のために必死で努力をしているが状況を変えられないでいる。男子生徒の身体をチェックしてみると、C7が歪んでいるし、側頭骨も歪んでいる。だから「身体の骨が少しだけ歪んでいるからそれが原因で夜寝られないんだよ」って男子生徒に説明してあげたよ。』



進弥「生徒にも具体的に説明して理解してもらうんですね。」



K氏『そうやって説明をして、早速骨格調整開始。このときは時間がなかったから手技で、側頭骨や骨盤を15分調整したよ。側湾症が消えて身体の体幹がすぐにしっかり整った。一緒に廻りにいた他の先生も身体の好転に驚いていたよ。』(6/24  骨格調整ビーイングブログ参照)



進弥「男子生徒はその後どうなったんですか?」



K氏『どうなったというより、その場で激励したよ。そして身体が楽になることを伝えて、「夜もちゃんと寝られるようになるし、だからしっかり朝起きて遅刻しないように登校するようになるさ」って説明してあげた。』



進弥「身体の調整とトークで希望を持たせるんですね!」



K氏『そう!自分自身を卑下することなく自分を愛することを説明してあげるよ。身体と心、この両面から生徒達と接するとすぐに明るい兆しに改善する。他の生徒達も同様に楽しい会話をしながら、自分も生徒達同様に楽しんでいるよ。』



進弥「楽しそうですねぇ!!」



K氏『楽しいよ~。「何時まで起きていたの?」「3時」「3時!?おじさんは3時まで起きていたら、翌朝眠たくて学校に来られないよ」「心配しなくても大丈夫!!授業中にちゃんと寝ているからさ。」「ハハハハハ(爆笑)」てな感じで僕も彼らと一緒にいられて幸せなんだ!』



進弥「会話をしながら骨格調整をするんですね。」



K氏『そんな会話をしながら、身体をチェックしてるよ。身体の歪みをみて、その症状を予見して説明してあげる。症状があてはまった生徒達はたちまち目を丸くして興味津々となるよ。そんなやり取りをしているうちに、生徒の両親にも生徒から報告があるらしいんだよね。「中学校にへんなおじさんがいる!」って(笑)「身体を骨格調整してくれるし気持ちいいし、元気がでるんだよ」って。』




進弥「個人事業主のK氏としては、仕事の時間を中学校に通って生徒達に力を注いでいるのですね。生徒の親、そして学校の教職員からの評判はどうですか?」



K氏『そうだね。この企画たちまち評判となってしまって、別の中学校からも「ぜひウチの学校にも来て欲しい」と依頼を受けたよ。それはできないって断っているんだけど、すると「別のお仲間を紹介して欲しい」ときた。それもできないよって返したけどね。』



進弥「やはり同じ仲間であっても、仲間も個人事業主同士ですからね。その事情をふまえたうえで、ボランティアを依頼するのはK氏が行うことではないですよね。なるほどよく理解できます。ボランティアの意志は、心震えた人が主体を全うするものとお考えですか?」



K氏『それにしかない。義務とかそういうんじゃなくて、楽しいとかワクワクとかそれが基にあって沸き立つ衝動でしかないと思っているよ。だから「別のお仲間を紹介して欲しい」ときてもその声に応えることが難しいんだよね。』


進弥「最近の症例を教えていただけますか?」



K氏『脳性麻痺の症状がある七歳の女の子がいるんだけど、継続して調整に来てもらっているよ。
股関節が脱臼した状態でぱきぱき音が鳴っていたため、病院に行くと医師から「この症状があると、成長するにつれ股関節が外れる可能性が高い」ということで手術を勧められてたそう。その直後にビーイングで予約をとって通ってもらっているんだけど、一回の調整で手術回避という状況に好転したよ。』



進弥「病院の医師も手術回避に同意してくれたんですか?」



K氏『骨格調整を受け始めたあと、同じ医師に診てもらったそうなんだけど、股関節から音がしなくなっていた状況に驚きを隠せなかったみたい。で、「どうして良くなったの?」と医師から母親に質問があったそうで、「骨格調整に通って、骨の脱臼を調整してもらった」と説明すると、医師も「ぜひ継続して調整してください。」とお墨付きをもらったらしい。』



進弥「やった!て感じですね。母親も手術を回避できたことに喜びと安堵と両方でしょうね。どういった調整を行ったんですか?」



K氏『頭を手技で調整しているよ。側頭骨の歪みが大きくて、両手で側頭骨を掴んで正しい位置にもどせるように時間をかけて調整している。子供だし飽きないようにさ、童謡を歌いながらやってる。すると、女の子はリラックスしてくれて、僕の腕の中で寝ながら,じっとして調整を受けてくれるよ』(といいながらいくつか歌を披露してくれた。)



趣味で合唱グループを結成しているK氏。日頃鍛錬された歌声を、やすらぎの音としてお客様とくにこども達に披露してらしい。大衆の面前で歌を披露するK氏。素晴らしい歌声である。



進弥「K氏の歌は、骨格調整のひとつの技術と言っても過言ではないですね。こども達との心の距離を縮める歌は、素晴らしいの一言です。全身全霊かけてお客様を向き合っている感じがよく伝わります。」



K氏『ありがとう!大人とこども。人が大好きだから、喜んでもらうことに一生懸命努力しているよ。あ、努力というより、自分の能力が全開になれば、人に喜んでもらえる。だから、好きな自分を精一杯表現しているよ。そうするとさ、とくにこどもの調整でも、こども達みんな否応なくビーイングのことを好きなってくれる。その状況で骨格調整をすると経過が良好なんだ。』



進弥「この女の子もK氏に心をゆるして、身体を預けてくれるんですね。でも手技での調整というと長時間つきっきり身体に触れたっきりで調整をするから骨格調整士としては大変ですね。」



K氏『たしかに大変だけど、この症状がある子はじっと調整を受けることはできないし、じっと出来ない分、身体の動作にこちらが合わせる感じで、その動きのなかで手技で効果的に骨格調整してるよ。』



進弥「まさに全身全霊かけてますね。」



K氏『そうだね。人が大好きだから、行動に表せる。この子が良くなってくれることは、自分のやりがいがさらに大きく燃え上がることだからね。そりゃ夢中だよ。』



進弥「術後の経過はどのようですか?」



K氏『この子は、養護施設の学校に通っているんだけど、そこの教師が驚いた様子で母親に話してくれるらしい「ちゃんの姿勢がよくなって、斜視もかなり回復してますよね。」って。母親も喜んでくれてるし、ビーイングで頭部の骨格調整を行った結果だと思ってるらしいよ。』



進弥「私もそうだと思います。K氏が一生懸命つとめてくれた結果ですね。」



K氏『ありがとう!まだまだこれからだから今まで以上に頑張るね。』




話をしながら時間が経つにつれ、より会話に力がこもってきました。自分自身が納得できる毎日を過ごされていることがよく伝わります。自営業であるという現実と真摯に向き合い、余力ができると社会貢献活動に時間や体力を注ぎ込む。すべての人間関係に全力で向き合う姿勢に、相対する人は頼りがいを感じとるでしょう。K氏を慕う人たちは子供から中高年まで幅広い。そんな骨格調整ビーイングは、親子連れ、家族連れのお客様で待合室はいつもいっぱいです。



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