何度か書きましたが、私がこのブログを書き始めたのは、アンチ彼女でした。
 確か、舞衣さんもどこかで書いていたと思うのです。マニアの世界って、男性中心で、たまに、女の子の書いたものがあっても「彼が好きだから」「彼がよろこぶから」と、そうした書き方のものが多いですよね。女が書いてなお男の視線なんですよね。そうしたものに対する反発で、女がエッチだっていいでしょ、女が変態だっていいでしょ、という気持ちではじめてしまったんです。
 最近は後悔してます。
 実は、このブログを始めた時には、もっと、いろいろな実験をしてもいいのかと思っていたんです。よく、男の作家さんが女性の一人称で小説を書いていますよね。私は、男性の一人称で何か書いてみたかったのです。そんな実験もしてみるつもりでした。でも、実際に始めてしまったら、何だか、ものすごく責任が重くて、あまり遊んではいけないような雰囲気になってしまったんですね。おかしいですよね。まじめに変態しないと叱れるみたいな雰囲気なんですよ。
 私は自分のオチンチンをしごいて、射精する話しとか、ものすごく書きたいんですね。そのオチンチンはものすごく小さくて、包茎で、でも、カッチカッチなんです。そこまで出来ているんですけど、そんな話しは、書いてはいけないような雰囲気になってしまったんですね。男の人たちは、女が自分のクリトリスをいじって感じていくさまを書くのに、どうして、って、そんな思いがあるんです。
 こうしたことは、確か、舞衣さんも書いていましたよね。メールだったかもしれませんけど。
 たとえば露出した女の子が、興奮して、アソコを濡らしていまう、とかって書かれても、露出していたらアソコは風で乾いてしまうし、怖くて濡らしている余裕なんてないし、その上、女って自分が濡れたのを、触れずに感じるのって難しいでしょ。だから、なんて勝手な言い分だろうなんて思うわけです。
 それなら、私だって、包茎の皮を剥くときの男の惨めさとか、チリチリと痛みが走るとか、そんなこと書いたっていいわけですよね。
 そうした、いろいろなことを実験的に遊びたいなって思ったんです。それが舞衣さんたちの鹿鳴館をすごく好きになった最初のきっかけでもあるんです。私もエッチな実験に参加したいって思ったんです。撮影の本物は怖そうなので、せめて文章だけの実験なら、私も参加したいなって、そして、そのためには、早く舞衣さんのように、上手な文章を書けるようになりたいなって、けっこう、まじめに書いてきました。
 それが私のブログの楽しみだったんです。
 私のブログの大きな楽しみの一つは、舞衣さんとブログで遊ぶことでした。今もその気持ちは変わりません。MIXIでも、そう思って、頑張って詩のようなものを書いているのですが、やっぱり舞衣さんのようには書けません。いつか舞衣さんが文章で私と遊んでくれること、それが私のブログの目標ですし、楽しみなんです。これは本気です。だって、舞衣さんおだてても私には、少しの得もないのですから。