愛護の形
内容を要約すると…
野良猫の頭数が増えないように、野良猫を一時的に捕獲し、不妊去勢手術を施し、確認のため耳をV字にカット。その後捕獲した場所に戻している。
これまでに36頭の野良猫に不妊去勢を済ませた。
飼い主のいない猫は交通事故などの厳しい環境にある。平均寿命は4~5年。一代限りの命を温かく見守り、共生していこう。
ご理解、ご協力ありがとうございました。
というもの。
この活動が動物愛護推進委員会の活動として、正しい“愛護の形”なのか、僕には疑問です。
「一代限りの命との共生」は果たして「人と猫の共生」と同じなのだろうか?
僕は世代を越えて共に生きていくことこそ「共生」と呼べるのではないかと思う。
活動内容云々ではなく、
「共生」という言葉の選択に疑問を感じる。
人間と野良猫という大きな枠ではなく、一人の人間と一匹の猫としてみれば、間違いなく「共生」ではなく「一時の共存」に過ぎない。
「共生」と唱えつつ、「殺処分」ではない方法で命のバトンを断ち切っていることに変わりはないわけで。
人が生きる理由に答えはなくとも、
自分が生きる理由に答えを持つことは決して間違いではない。
僕は動物としてこの世に生まれてきた以上、命のバトンを繋ぎたい。
それは自分がこの世に存在した証として、引き継がれていくものなのかもしれない。
例え僕が喋れなくなっても、
例え僕が動けなくなっても、
命を繋ぐ権利を他者の価値観で奪われたくはない。
僕は飼い主のいない全ての猫に何かをしてあげることはできません。
猫と会話することはできません。
野良猫にとって何が幸せなのかは分かりません。
最善のアイディアがあるわけでもありません。
こういった活動がなかった場合、人の生活にどういった影響があるのかを知っているわけではありません。
だから、
僕にはこの活動を真っ向から否定することはできません。
ただ、疑問を持っています。
ただ、やるせない思いに駆られます。
だから、
この活動に賛成することはありません。
けせらせら。