絶対善について新しく書くことが見つかりませんので、今回は論理と真理について書きます。

 

「論理とは何か?」とよく議論になりますが、これは簡単に言えば「理(ことわり)、道理を用いて論じる」と言うことです。

道理とは前回も書いたように皆さんが本能的に持っている「共通する正しいこと、正しくないこと」、つまり善悪です。「それは当然だ、当たり前じゃないか、それは正しい、または正しくないに決まっている」と言うものが道理、理(ことわり)です。ですから道理とは善と同じものです。

赤ちゃんはみんな生まれつき善悪が分かっていると言うことが科学的に実証されています。この生まれつき持っている善悪を私たちは道理、理(ことわり)とも言うのです。

道理とはみんなが共通して「それは正しい、それは正しくない」と思うものですから、それを使って論ずれば違和感がなく、みんなが納得できるわけです。これを論理的と言うのです。

 

人を殺してはならないと言う道理。一人より百人の方を助けると言う道理。弱い者をイジメてはならないと言う道理。このように私たちは本能的に「これが正しい、これは正しくない」と感じる道理を共有して持っているのです。

また何故そのような道理があるのかと考えてみれば、それはやはり種族保存の為に必要だから自然界で作られてきたものでしょう。道理または善悪とは私たちが生き残る為、安心・幸せである為に創られ存在するのです。道理、善悪は本能的なものですからなかなか言葉で説明することはできないのです。

例えば何故、人を殺してはならないのか?と問われてもなかなかその説明はできません。しかしそれは「みんなの安心・幸せの為」つまり「みんなの為」に合致することを私たちは「それは道理だ、善だ」と本能的に感じているのです。

 

また真理、真の理(ことわり)とは、「これが正しい、当然だ」と言ういろいろな道理がありますが、それらの多くの道理のすべてに共通して絶対に内包しているもの、つまり真の道理、道理の本質、道理のイデア、つまり絶対道理(絶対善)を真理と言うのです。

私たちは普段の生活においては道理だけで事足りるのですが、この真理が必要となるのは裁判などのように「絶対的に正しい」が求められる場合です。

前回も説明したように道理は「一般的には正しい」と言う事であり「絶対に正しい」と言うことではありません。例えば「人を殺してはならない」のは道理ですが、正当防衛などでは人を殺すことも善になります。ゆえに道理は絶対的に正しいことを示すものではないのです。しかし人の生命や大きな問題などに関することならば「絶対に正しいこと、絶対善、絶対道理」つまり「真理」が必要となるのです。

 

ですからやはり私たちは本当に正しいことを知る為には是が非でも絶対善を知る必要があるのです。絶対善を知らなければ本当のことは何もわかりません。絶対善を知らなければ、いつまで経ってもソクラテスの言う「無知」なままなのです。逆に絶対善を知れば社会問題における本当に正しいことがすべて分かるようになるのです。絶対善は本当に優れものなのです。