私たちは「人を殺してはいけない」と言うのは「当たり前であり、常識であり、それは当然に正しい」と思います。つまり「人を殺してはいけない」と言うのは私たちにとっては道理なのです。

しかし何故、人を殺してはならないのか?その理由を説明しろと言われても私たちはその説明はなかなかできないのです。

つまり道理とは何故かよく分からないが「そのようにあるもの、そのようにしか考えられないもの」なのです。このように私たちには「それは当たり前だ、当然に正しい」と言うみんなに共通する認識があります。その道理、理(ことわり)とはいったい何なのか?を考えてみましょう。

 

道理とはみんなが「当然に正しい(または、正しくない)」と感じているもので、それは善と同じものです。絶対善である「種族(仲間の群れ)保存、社会の安寧秩序を守る事」つまり「みんなの安心・幸せの為、みんなの為」に適う、合致することを私たちは道理と呼んでいるのです。

その道理は私たちが理性、言葉で考えたものではなく、本能的なものですから、なかなか言葉にすることはできないのです。善、道理などは種族(仲間の群れ)保存の為に本能的に備わっているものなのです。

あらゆる道理と言われるものは種族保存に適うことを「正しい」と感じるようになっているのです。それは本能的なものですから生まれつきみんなに備わっている共通した感情です。道理とは本能的なものですから、それを理性でもって、言葉でもって説明することはなかなか難しいのです。

 

一人の乗った船と十人が乗った船のどちらを助けるのか?と言う問題ならば、皆さんのほとんどは十人を助けると言うでしょう。また老い先短い老人と若者のどちらを助けるのか?と問われれば、ほとんどは老い先短い老人よりも若者の方を助けると言うでしょう。それが道理です。しかしその理由、根拠は何ですか?と言われても、それを言葉にすることはなかなか出来ないのです。それが「そのようにあるもの、そのようにしか考えられないもの」つまり理(ことわり)、道理と言われるものなのです。道理とは私たちが生き延びる為、種族保存の為に本能的に生まれた時から備わっているものなのです。

 

更に考えてみれば道理とは皆さんが「当然にそうだ、それは正しい」と感じるものですから絶対善のように思われますが、道理は絶対善ではないのです。絶対・善は時代や国や場合、状況などのあらゆる一切の条件の問題においても変わることなく正しいものでなければなりません。

しかし道理は時代や国を超えて正しいとは言えますが、あらゆる条件でも変わらないと言うことはないのです。「それは道理である」と言われることも、それは「その条件の問題においてのみ」正しいのです。勿論、道理にも絶対に正しいと言える道理もあるでしょうが、多くの道理は絶対的ではないのです。

 

「一人と十人の場合であれば、どちらを助けるのかと言う条件の問題において」正しいのであり「老人と若者と言う場合であれば、どちらを助けるのかと言う条件の問題において」正しいのであり、人を殺してはならないと言うのも「一般的な日常の場合であれば」と言う条件であれば正しいのです。常に善も道理も「その条件の問題において」は正しいと言えるのです。ですから道理は絶対の条件である「時代や国家や場合、状況において、つまりあらゆる条件において変わらないもの」ではないのです。ただし、道理や善は「その問題の場合、条件においてならば」絶対に正しいと言うことができます。

 

例えば普段の生活の場合では「人を殺してはいけない、それは悪である」と言うのは時代を超え、国家を超えて正しい事でしょう。だから普遍的に正しいとは言えます。しかし条件が変わり非常時の場合、つまり正当防衛や戦争などの場合、条件になれば「人を殺すことは善、正しい」に変わるのです。つまり矛盾が生じるのです。しかし絶対善には一切の矛盾があってはならないのです。

ですから「道理的に、当然にそれは正しい」とみんながそう考えるからと言ってもそれは絶対善ではないのです。善や道理は条件が変われば時に善が悪に変わるのです。ですから道理や善は「その問題の条件においてならば」絶対に正しいと言うことはできるのです。

 

絶対・善は「種族保存、みんなの安心・幸せの為」つまり「みんなの為」だけです。この絶対善こそが時代を超え、民族・国家を超え、あらゆる場合、状況などあらゆる条件の問題であっても変わることなく正しいと言えるものなのです。絶対善は善においては唯一無二「種族(仲間の群れ)保存、みんなの為」だけなのです。他にはありません。皆さんが絶対善と思われているものには必ず矛盾が含まれています。絶対善は唯一無二「みんなの為」だけなのです。

 

そして皆さんが「これは当然に、当たり前に正しいだろう」と考える道理にはいろいろありますが、それらすべての道理に共通して絶対に内包しているのが道理の本質、道理のイデアである絶対道理です。この道理の本質、道理のイデア、絶対道理こそが絶対善と言えるのです。

 

今回は少し理解しづらいのですが、善や道理は本来は理性ではなく本能的なものであり、それらは種族(仲間の群れ)保存、みんなの安心・幸せの為」に合致することを私たちは善や道理と感じているのだと言うことを説明してみました。