古くから哲学者たちは「善とは何か?」を探究してきました。善とは何か?とは簡単に言えば、善の意味とは何か?ということです。善の意味と言っても、いい加減な意味では困ります。善の本質、本当の善の意味を違和感がなく、みんなに分かり易く説明することが「善とは何か?」であり、善を定義することなのです。~とは何か?とは、その本質とは何か?ということです。絶対に間違いのない本質を私たちは知りたいのです。

 

私たちは善とは何か?を本能的、潜在意識的には何となく分かっているのです。この何となく分かっている善について、多くの哲学者たちも一生懸命に善の意味を表そうとしています。

 

・誰もが望むもの、誰もが求めるもの(アリストテレス)

・何を選択すべきか決定される元のもの(プラトン)

・努力の目標となるもの(T.ホッブズ)

・人格の実現である(西田幾多郎.

などなど。

 

これら彼らの言う善すべてに内包している善の本質こそが私の言う絶対善である「種族(仲間の群れ)保存、社会の安寧秩序の為、みんなの安心・幸せの為」つまり「みんなの為」なのです。

 

・誰もが望むもの、誰もが求めるもの(アリストテレス)・・・誰もが求めるものはみんなの安心・幸せです。

・何を選択すべきか決定される元のもの(プラトン)・・・絶対に「みんなの安心・幸せ」に合致することを選択し「これが善い」と決めます。

・努力の目標となるもの(T.ホッブズ)・・・・みんなの最高の目的はみんなの安心・幸せです。

・人格の実現である(西田幾多郎.)・・・・みんなの人格が高くなれば社会は安定しみんなの安心・幸せに繋がります。

 

このように善の本質、善の意味とは「みんなの安心・幸せの為」つまり「みんなの為」なのです。「みんなの為」になる(合致する)ことを私たちは「これが善である、これが正しい」と選択しているのです。

 

 またアリストテレスは善と正義は少し違うものと認識していて正義とは「均等的」と言っています。しかし正義の意味が「均等的」と言われてもピンときません。彼が言いたいのは何かといえば、これも「種族保存、みんなの為」と言うことです。みんなが生き残る為には一部の者が食料を独占するのではなく「均等に分け合えば」多くの群れ仲間が生き残れて種族保存ができるのです。種族(仲間の群れ)保存こそが私達の最大の目的なのですから、それに合致することを正義、正しいと感じるのです。

種族保存するためにはみんなで均等に分け与えれば、多くのみんなが生き残れて種族保存にも合致するのです。つまり正義とは種族保存の為にあり、それに合致することを「これが善い」と私たちは選択するのです。このように考えれば善も正義も同じものと言えるでしょう。

 

また「善の研究」で有名な西田幾多郎氏は善について「善を一言で言えば、人格の実現である」と言っている。この意味は種族保存、みんなの安心・幸せの為には社会に安寧秩序があることがどうしても必要なのです。みんなの人格が高くなれば相手を思いやることが出来て、秩序ある社会が実現できるのです。つまりそれは種族(仲間の群れ)の保存に合致するのです。

 

 このように善の本質、絶対善が分かっていれば、著名な哲学者たちの言う善についても彼らが言わんとすることが分かるのです。

善とは何か? 善の本当の意味とは何か? つまり、善の本質、善のイデア、絶対善とは私の言う「種族(仲間の群れ)保存、みんなの安心・幸せの為」つまり「みんなの為」で間違いはないのです。