今回はちょっと難しいのですが、絶対善の理解には必要な事ですから書いておきます。

例えば「人は動物である」と言うことは「正しい」ですよね。これは、人は動物に内包しているから正しいのです。内包とはそれに含まれていると言うことです。分かり易く言えば動物と言う円の中に、人という円が内包していると言うことです。勿論、動物の円に含まれるのは人間だけでなく犬や猫など多くの生き物も動物に含まれます。

 

また「東京は日本にある」と言う文章も正しいですよね。これも日本の中に東京が内包しているから「正しい」のです。勿論,他の多くの県も日本に内包しています。

このように内包していると言うことは正しいと言うことなのです。そしてすべてに絶対に内包していることは「絶対に正しい」と言えるのです。

 

私は「善とは何か?」を探究するときに、数多くの善なる行為を考え、それらすべてに絶対に内包しているもの、善の本質つまり「それがあるから善であり、それがないならば善と言えないもの」を考えたのです。あらゆる善なる行為に共通して絶対に内包しているもの、善の本質、善のイデアを私は求めたのです。

 

そして善とは「私より公を優先することである」と見つけたのです。この「私より公(みんな)を優先すること」、さらに簡易に言えば「公(みんな)の為」が、自分が考えたすべての善なる行為に内包していたのです。

「公(みんな)の為」はすべての善なるものに絶対に内包していますから、絶対に正しい善、つまり絶対善と言えます。愛や思いやりや慈悲心などのすべての善なる行為に共通して内包しているのが「私より公(みんな)を優先すること」つまり「みんなの為」なのです。

 

イデアとは絶対に内包しているもの、その本質を言います。ですからイデアは絶対です。美のイデアは絶対美と言えるのです。勿論、絶対善は善のイデアの事です。そしてこの善のイデアこそ、あらゆる善なるものに共通して絶対に内包しているものなのです。そしてそれは唯一無二のものなのです。善について唯一無二です。善のイデア、絶対善と言えるものは「みんなの為」以外は「ない」のです。

 

皆さんが普段、善と思っているものには必ず悪が含まれています。ですから本来ならば、それらは善とは言えないのです。善には悪は一切含まれていてはなりません。人権は絶対善のように思われていますが、公共の福祉に反するならば悪となり、ちょっとだけ悪がありますので絶対善ではないのです。悪が一切なく絶対善と言えるのは「みんなの為」だけなのです。

 

このように内包していることは正しいと言えて、絶対に内包していれば絶対に正しいと言えるのです。しかし我々の感覚からすれば合致していれば正しいと言うのは納得できるのですが、何故、内包していればそれも「正しい」と思うのでしょうか? 

それが分かりません。これもまた理(ことわり)、道理なのではないでしょうか。つまり考えても分からないこと、そのようにあるもの、そのようにしか考えられないものです。もし誰か分かる人がいれば教えてください。