東京で生き抜くためには知恵がいるらしい。

僕は常々何とかなると思って生きていたし、これまで何とかなってきた。

知恵なんて言われても、首を傾げるしかなかったあの頃。


その人曰く、僕はその知恵を熟知しているらしい。

何もそれは珍しい事ではない。続けてその人は言った。

僕は当時、それを他人事のように右から左へ受け流していたのだけれど、それが何であるかを最近意識する事が多い。

そんな僕を隣でその人は叱責するのだけれど、一度気になり始めるとどうにも手の施しようの無いのが人間というもの。


さて。今日もそうしているうちに仕事の電話が鳴ったわけだ。

時刻は午後3時を回ったあたり。

依頼が入る時間はいつもバラバラであるが、この時間の依頼は面倒な場合が多い。

と言っても、僕にそれを受けるか否かの決定権は無く、すぐさま僕は電車に乗って、その人に会いに行かなければならない。


その人は通称・KINGと呼ばれている。

昼間、KINGは駅の傍でホームレスをしている。

僕と出会ったのもその状況の時で、きっとあの界隈で生活を営んでいる者でKINGの存在を知らない者はいない。


初めてKINGを見た日。初めてKINGと目があった日。そして、KINGと話をした日。

どれも僕は鮮明に覚えていて、今こうして会いに行く事がまるで運命によって導かれたルートのような気がするのだ。

夏の日差しが降り注ぐ東京のど真ん中。

あの日の空気にそれは似ていて、絡みつくような湿気と戯れながら、僕はKINGの元へ急いだ。


いつもKINGが腰を下ろしている場所。

大通りに面し、多くの学生や社会人が往来する場所にKINGの昼の居住空間がある。

そこに『居る』という感覚ではなくて、そこに『ある』という感覚。

不思議なもので、このあとどれだけ危険な仕事が待ち受けているという時でも、安心感しか得る事ができない。


僕はいつものようにKINGに軽く視線を送り、数十メートルほど歩いた衣料品店の人間にメモを手渡した。

昼間に僕のようなKINGの夜の顔を知っている者が接触する事は禁止されている。

それには様々な理由があるらしいのだが、知らない事も知恵だとKINGは言う。

そうして僕は2つ先の駅前にある喫茶店に入り、アマダという男の連絡を待つ。


10分ほど経ち、コーヒーを半分ほど飲み、一本目のタバコをもみ消そうとした時、アマダからメールが入る。


『10時にいつもの場所で。5人ほどで大丈夫だろう。』


僕はアマダと一度も会った事が無い。声すらも聞いたことが無く、やりとりは一方的に来るメールだけである。

ほかの仲間も同じで、アマダは僕達とKINGの関係を円滑に繋げているコーディネーターのような存在だった。

KINGはアマダのことを「シャイなヤツ」と、期待はずれもイイところだと叱責したい言葉しか出さないものだから、ますますその存在はぼやけてくる。

だけどそれが最も正しい位置関係なのかもしれない。そんな風に思う。