10月6日に行われたチュニジアの大統領選挙で、現職のカイス・サイード大統領が約91%を得票して再選された。しかし、野党候補が立候補を妨害されるなどしたため、野党は選挙ボイコットを国民に訴え、その結果、投票率は28%と低く、サイード政権の強権政治への反発が感じられた。
2010年にアラブの民主化運動「アラブの春」の先陣を切ったチュニジアは今、どうなっているのであろうか。
2010年12月、チュニジアでは、一人の青年の焼身自殺を機に、独裁政権に反対する民衆のデモが全土に拡大した。その結果、ベン・アリ大統領は、2011年1月にサウジアラビアに亡命し、23年間続いた独裁政権が崩壊した。これを「ジャスミン革命」と呼ぶが、この民主化の波はエジプト、リビア、シリア、イエメンなどの周辺諸国にも広がった。
民主化のうねりに人々が希望を抱いたのも束の間、アラブの春は挫折し、また独裁へと後戻りしてしまった。民主化が経済発展と生活水準向上につながらなかったからである。
サイード大統領は、2021年7月には首相を解任し、議会を停止した。2022年3月には議会を解散し、6月には汚職に関わったとして57人の裁判官を解任した。そして、6月末には大統領権限を大幅に強化する憲法改正案を発表した。7月25日の国民投票で、この改正案は94.6%の賛成で承認された。
汚職撲滅、公平と正義を訴えるサイードを多くの国民が支持する。それは、政治家の権限争いで経済が低迷する状況に辟易し、強力な指導者に期待しているからである。しかし、投票率は30.5%にとどまった。政治そのものに対する国民の不信が背景にある。
他の国々でも、アラブの春は挫折していった。
では、なぜアラブの春は失敗したのか。
第1は、独裁政権打倒後に、民主主義制度を定着させることができなかったことにある。政治家同士の権力争い、汚職の蔓延など、多くの問題が噴出し、統治不能になってしまった。そこで、エジプトのように、強力な軍事指導者によるクーデターで軍政に戻ってしまった。また、チュニジアのように、三権分立が機能不全を来たし、大統領に権限を集中させる仕組みに変わってしまった。モンテスキューの掲げる理想の実現は容易ではない。
第2に経済運営の失敗である。新型コロナウイルスの流行、ウウライナ戦争の勃発などの外的要因もあるが、経済を発展させ、国民の生活を向上させないかぎり、民主主義は生き残れない。民主化によって生活水準が下がれば、民主主義への幻滅が広がるのは当然である。
第3は、民主化が国の分裂を招いたことである。リビアやイエメンがそうである。国を一つにまとめ上げ、統治できなければ、民主主義は定着しない。
アラブの春の挫折は、民主主義が優れた政治であると主張することを躊躇わせてしまう。しかし、独裁よりは遙かにましであることは再認識すべきである。