トランプ前大統領が、3月30日、ニューヨーク州の大陪審によって起訴された。2016年の大統領選挙期間中に、不倫関係にあった元ポルノ女優などに口止め料を支払ったという容疑だ。顧問弁護士のマイケル・コーエンをを通じて支払ったが、弁護士費用と記しており、それが虚偽文書作成の罪に当たるという。
トランプは、今回の起訴を「魔女狩り」と称し、「史上最高レベルの政治的迫害と選挙妨害だ」と批判している。
トランプは、4日、裁判所に出頭し、34の罪について起訴され、罪状認否で無罪を主張した。その後、トランプはフロリダの自宅に戻り、支持者たちを前に演説をした。
その中で、トランプは、「この事件を見た誰もが犯罪はないと言っている」として、「この偽の事件は2024年の大統領選挙を妨害するということだけを狙ったものだ。即刻取り下げられるべきだ」と述べた。
ヨーロッパの政治史を振り返ると、王様の独裁を牽制するために議会が権力を拡大し、王制を廃止したり、国王に政治的権力を持たせない立憲君主制に移行したりした。
そして、現代の民主主義国家では、議会が内閣総理大臣を決める制度(議院内閣制)や国民による直接選挙で大統領を選ぶ制度(大統領制)が導入されている。議院内閣制の場合、国会が「国権の最高機関」であるから、首相が独裁者とならないような歯止めが制度的に内包されている。しかし、大統領制の場合はそうではない。
この制度は、モンテスキューの言う三権分立を徹底させた政治制度である。行政は大統領が率いる政府、立法は議会、司法は裁判所と、三つの権力が分立しており、相互に牽制する。
この三権分立という仕組みの目的は、政府に巨大な権限が集中させないことである。
これと並んで、独裁を生まないための工夫が、もう一つ施されている。それが連邦制である。中央政府の暴走を地方政府が止める、逆に地方政府の飛び跳ねを中央政府が抑えるというものである。建国の父、とくにジェームズ・マディソンが強調したのが、中央政府と各州政府との「抑制と均衡」の重要性であった。
このマディソンの精神が今もアメリカの民主主義に脈打っており、今回、民主党の強い地区、ニューヨーク州の大陪審が起訴したことは、共和党の政治家、トランプに対する政治的制裁の意味が濃厚である。捜査を主導しているのは、マンハッタン地区検察官のアルビン・ブラッグであり、民主党から推されて選挙で選ばれている。
地方自治とはいえ、このように政治的色彩が濃くなると、国家というものの意味を考えざるをえなくなり、連邦制にも懐疑の念が湧いてくる。議院内閣制・大統領制、中央集権・地方分権といった仕組みは、いずれも完璧なものではなく、運用によって実際の効果は大きく変わってくる。
アメリカでは、国家転覆罪でないかぎり、起訴されようが、有罪になろうが大統領戦に出馬できないということはない。そして、起訴されたことがかえってトランプ人気を高める可能性もある。「魔女狩り」に対する反発は、トランプ支持者の間で高まり、共和党支持者の間では、起訴後にはトランプ支持率は8%増えて、52%になっている。
アメリカは分断されている。リンカーンの言うように、「分かれたる家、立つこと能わず」である。