<毒をもって毒を制す>・・・厚労官僚とどう戦うか | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 2007年8月に厚労大臣に就任した私は、年金記録問題、いわゆる「消えた年金」問題に取り組んだが、当時の社会保険庁の腐敗堕落ぶりに愕然としたものである。政治家として、また厚労大臣として、サボタージュをする役人とどう戦うか、たいへん苦労した。結論から言えば、「毒」には「毒」でもって対応するしかないということである。

 当時の具体的な行動を振り返ってみる(拙著『厚生労働省戦記』参照)。

 私は、2008年1月22日、省内に年金記録問題作業委員会を設置した。委員長には磯村元史函館大学教授を任命し、またメディアで社会保険庁批判を繰り返してきたジャーナリストの岩瀬達哉も委員として就任してもらった。磯村もまた、社会保険庁に厳しい態度をとってきた論客である。

 それに、社会保険労務士連合会副会長の大山昭久、連合総合政策局長の小島茂、民間の第一生命年金事業部長から山崎俊彦、それに国民、とくに女性の視点から国際医療福祉大学教授の大熊由紀子にも参加してもらった。官僚たちは、大臣がとんでもない組織を作ったものだと唖然としたことであろう。

 しかし、表現は悪いが、「毒をもって毒を制す」しかないほど、この組織は打っても響かないようになっていた。そこで、この作業委員会は、毎週、私が司会をして、「ねんきん特別便」や「ねんきん定期便」の封筒のデザインや案内文の文言まで、国民の立場から注文をつけて、一つ一つお役所仕事を改善していったのである。

 また、私は、3月11日、大臣の直属機関として、「年金記録問題に関する特別チーム室」を発足させた。室長は、弁護士で中央大学教授の野村修也を就任させた。彼は、総務省の年金記録問題検証チームの委員でもあり、この問題の専門家であるし、弁護士なので守秘義務の点からもうってつけである。

 大臣に権限を授与されたこの特別チーム室は、社会保険庁に乗り込んでいって生の記録を検証し、これまで外部からはうかがい知れなかったこの組織の闇を暴いていくことになる。その過程で、特別チーム室と社会保険庁との間で壮絶なバトルが繰り広げられることになる。大臣である私は、両者の間を調整するのに大いに骨を折ったものである。

 この頃、政府全体の対応としては、まず1月24日に第2回関係閣僚会議において「年金記録問題に関する今後の対応」を策定した。そして、特別チーム室が設置された直後の3月14日、第4回関係閣僚会議を開き、名寄せ作業が完了したことを報告し、「年金記録問題についての今後の対応に関する工程表」を発表した。公約通りに3月末までに名寄せは終了したのであるが、その結果は、5000万件のうち、持ち主がほぼ特定できたのが1172万件で、あとは名寄せ以外の方法で解明するしかなかった。