戦前日本:選挙権・被選挙権もあった内地居住の朝鮮人(9) | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 戦前の日本で在日朝鮮人が、選挙権、被選挙権があったことを示す資料を掲載してきたが、本連載の(1)で記したように、普選制度の導入とともに納税要件がなくなり、25歳以上の「帝国臣民タル男子」で、衆議院議員については1年以上、地方議会議員については2年以上同一市町村に居住する者は、日本人も在日朝鮮人も、選挙権も被選挙権(参院は30歳以上)も付与されたのである。

 しかも、日本語の読み書きのできない朝鮮人の選挙権・被選挙権を守るために、ハングルで投票することも可能としたのである。

 1930年の内務省見解を引用する。「朝鮮人の選挙権に対する理解要求共に(日韓併合)当時に比し進歩せるにも拘わらず単に本邦固有の文字を書するに能わざるがために折角の権利を行使するを得ざらしむる如きは事実上

はなはだ不当なり」。

 下線は私が付したものであるが、日本語が書けないばかりに選挙権を行使できないことは、「はなはだ不当」として、ハングルでの投票を許したのである。韓国や一部の「進歩的」日本人は、戦前の日本人が朝鮮人を差別して虐待していたというようなイメージばかりを植え付けようとしているが、実態は違う。

 当時の北九州若松市で朝鮮人が地域社会に溶け込んでいた話を書く。

 恵藤秋吉は、吉田磯吉の私設軍隊、警備団の先頭に立っていた男で、敵陣の演説会を潰したりしていた。1931年2月11日に行われた第1回建国祭の祭典行進に際して、恵藤は、自分の作った大日本旭旗会という右翼団体の人数が足りないため、朝鮮人の親分に頼みに行く。

「あすは日本の建国祭である。建国祭といっても、お前達には呑み込めないだらうが、簡単に謂えばお祭りのことである。お前達も日本人となった以上、それに参加せねばいかん。とも角あすは出来るだけ多く朝鮮人を引連れ、自分のところに集まって来い」と頼み、焼酎を用意して待つと告げた。

 翌日、多くの朝鮮人が集まり、「お祭りといふので、朝鮮のお祭りかと早合点しし、焼酎が飲めたうえ、お祭り気分も満喫できる、遙ろかなる故国への郷愁も一緒苦茶に沸騰させ、早朝から一張羅の白服を纏ひ、赤、黄、緑と色とりどりの長い布で鉢巻姿も物々しく、七夕様のようにかざり立てて、朝鮮纏や太鼓までも持ち出し、ドンドンガンガラガン、ドンドンガンガラガント。騒々しいほどの勢ひで恵藤のところに集合し、早くも円陣を作って、鐘、太鼓や朝鮮唄の節どりも面白く、朝鮮踊りを始めたのである。」(高野貞三『若松政界太平記』)。

 これが当時の若松の雰囲気であり、選挙もまた祭りであるから、吉田磯吉の子分の私の父も、朝鮮人を動員し、彼らの票に期待したのである。写真は当時の若松の祭り風景。

 

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