政治学講義⑲:(3)統治と選択⑥法の支配・・Ⅳ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 人間社会では、必ず利害の対立が生まれ、限られた資源を配分することが必要になってくる。その技術が政治である。

 その配分は、平和的に行ったほうがよい。なぜなら、暴力による一方的な決定は、それに反発する勢力による暴力を引き起こすからである。そのコストは大きい。

 そこで、時間はかかっても、諸集団の意見を聴取し、説得と調停を繰りかえして妥協点に到達する。それが政治であり、「平和な支配」である。

 「平和の支配」の欠点は迅速な決定ができないことであり、独裁者は民主政治を非効率な制度と嘲笑する。現在の世界でも、アメリカ、ヨーロッパ、日本などの先進民主主義国に比べて、中国やロシアは専制政治の度合いが強いが、政策決定の迅速さという点では優っている。

 小党分立のオランダやベルギーなどでは連立政権が常態であり、2017年11月の総選挙後のドイツはCDU/CSU とSPDによる大連立政権樹立まで5ヶ月も要している。

 手間のかかる民主主義が統治不能状態に陥らないためにあるのが、多数決原理である。この多数決こそ、統治不能状態を回避し、民主制が独裁制にとって代わられないための工夫である。

 しかし、多数決原理は「多数の専制」という問題を孕んでいる。しかも、現代の大衆民主主義社会においては、その多数が質の高い人々である保証はない。普通はその逆である。

 私利私欲に駆られて自らの利益のみを追求し、他の集団の利害など考慮しなければ、それは「多数の専制」である。

 フランスの自由主義者、バンジャマン・コンスタンは、「何でもなしうる人民というのは、専制君主と同じほど、また専制君主以上に危険である」と述べている(『政治原理』)。コンスタンは、利害だけに基づく政治はいずれ崩壊すると警告している。

 彼は、ナポレオンを批判して、「もし人間の心情の中に利益しか存在しないならば、専制政治にとっては人間を支配するためには人間を恐れさせ、または誘惑すれば十分である」と記している。多くの人々は「奴隷状態をナポレオンに懇願することに熱心であった」が、フランス革命前の絶対王政において、この「利害の支配」が実践されていたのである(『征服の精神』)。

 権力は、ルソーが注目した「起源」と共にモンテスキューが思考をめぐらした「行使の態様」が問題である。三権分立の主張である。

「多数の専制」を防ぐために、手続き、ルールがあり、「牽制と均衡」がある。「法の支配」こそ、自由を保証し、「平和な支配」としての政治を可能にするものである。

 現代民主主義国家においては、手続きそのものの中に、「多数の専制」を阻止する仕組みが組み込まれている。

 たとえば、日本では、国会の運営について議会運営委員会が制度化され、各政党に国会対策委員会が設置されている。これによって、少数派の意見を多数派が聞く機会が確保されている。また、実態はかなり形骸化しているものの、国会における公聴会が広く国民レベルで少数派の見解を聴取する機会となっている。

 

 

 

 

 

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