白坂です、

 

比較優位説とは?簡単に

まず
例え話から始めたいと思います。

病院経営の場合、、、

ベテランのお医者さんが、
病院に関するありとあらゆる仕事を
自分1人だけで全てやった方が
利益は最大化するか、

それとも、

サポート役として医療事務の人を
入れた方が利益は最大化するか、、、

というところから
考えます。

今回は仮に、
お医者さんは非常に仕事が出来るので、

・患者さんの診察や治療はもちろん、
・事務さえも、医療事務の人より
 速く・正確な仕事が出来ると仮定します。

すると、

お医者さん
(事務の方に比べて):
・診察が得意
・事務も得意

事務の方
(お医者さんに比べて):
・診察は苦手
・事務も苦手


この例の場合、
お医者さんは事務の方に比べて
両方ともで優れているので
絶対優位。

事務の方はお医者さんに比べて
両方ともで劣っているので
絶対劣位、、、と言います。

であれば、

事務の方を雇わずに、
お医者さんが診察も事務も両方やれば、
利益を最大化できる、、、
という結論になりそうですが、実は、


NO


です。
なぜなら、

もし、
お医者さん自らが事務をやれば、
事務をやっている時間は


患者さんの診察が出来ないから、


です。

つまり、
もし、お医者さん自身が事務をするというのは、
事務の方を雇うという目に見える費用を
支払ってはいないものの、

患者さんの診察をする
機会を失っているので、


機会費用を支払っている


ということになります。

仮に、
患者さんの診察は
付加価値が1時間:1万円

一方、
事務の仕事は
付加価値が1時間:2千円だとすれば、


2千円の仕事するたびに、
1万円の機会費用を支払い続けている


ということになります。

であれば、

1時間:2千円で事務の仕事をしてくれる
医療事務の方を雇った方が、1時間:1万円の
患者さんの診察行為を最大化できるので、
利益を最大化できるということになります。

一方、
医療事務の方にとってはどうでしょうか?

・医療事務をすれば、1時間:2千円
・他のバイトをすれば1時間:1千円

だとしたならば、
他のバイトをするより、医療事務をした方が
利益を最大化することが出来ます。

つまり、
お医者さんが事務をすると
患者さんの治療が出来ないので
1万円の機会費用を支払わないといけないのに対し、

医療事務の方が事務をすると
他のバイトが出来ないだけで
機会費用は1千円で済みます。

このように、

お医者さんにとっての事務は、
医療事務の方に比べて、
機会費用が割高になってしまうので
比較劣位。

医療事務の方にとっての事務は、
お医者さんに比べて、
機会費用が割安で済むので、
比較優位。

だから、
お医者さんは、1時間:1万円の
患者さんの診察に専念した方がよく、

医療事務の方は、1時間:2千円の
事務の仕事をした方が


機会費用が最小化するので
両者それぞれの利益が最大化する


ということになります。
このように、

相手の機会費用に比べて、
自分の機会費用が小さいものを
比較優位、と言います。

そして、
人は、互いに


比較優位のモノ同士で取引することで
両者の利益が最大化する


ことを
『比較優位説』と言います。

なお、
「お医者さん」と「事務の方」の話は
例え話です。実際の『比較優位説』は、
本来、

・国は他国と貿易をせずに
 自国の産業を保護した方が良いのか?

それとも、

・国は他国と貿易をして
 自由貿易をした方が良いのか?

を考える際に、
ありとあらゆる国が


【自由貿易をした方が良い】


という結論となる
理由を説明した考え方です。

たとえば、
「日本」と「発展途上国」で考えてみます。

日本で
・服も生産できる
・自動車も生産できる

発展途上国では
・服は生産できる
・自動車は生産できない

とします。
そして、

日本が作った方が、
服と自動車の両方ともが
より効率よく・より品質の高い
商品が生産できるとします。

この場合、
日本は発展途上国に比べて、

・服
・自動車

両方で優れているので
絶対優位。


発展途上国は日本に比べて

・服
・自動車

両方で劣っているので
絶対劣位。


であれば、
服も自動車も両方とも貿易はせずに
日本で生産した方が利益が最大化するか?
経済学で考えると、


NO。


なぜなら、
服を生産している人が
同時に自動車も生産することは出来ないから。


もし、
日本で服作りに参加する人が多ければ多いだけ、
自動車作りに参加する人が減ることになります。

つまり、
服を生産することで自動車を作る機会を失っています。
目に見えない機会費用を支払っています。

であれば、
日本は敢えて服は自国で生産せずに
自動車の生産に特化する。

そして、
発展途上国で生産した服を輸入する。

今回の仮定では、
発展途上国は自動車は生産できない、
という前提であり、もし服を生産しない場合、
もっと付加価値の小さな仕事しか出来ない。

だったら、
発展途上国の人も、付加価値の仕事より
服の生産に携わった方が利益が大きくなる。

結果、
互いにとって、失う機会(機会費用)を
最小化できるように、互いに特化して
取引(貿易)をした方が良い、

ということになります。

比較優位で多い誤解の1つ目は、
単純に、相手と比べて
得意・不得意で考えてしまいがち、になること。

比較優位というのは、
相手と比べて・得意・不得意、、、ではなく、


相手と比べて【失う機会】が「大きい」か「小さい」か?


・失う機会が大きい
 (機会費用が高く付く)
 比較劣位。

・失う機会が小さい
 (機会費用が安く済む)
 比較劣位。

そして、
たとえ、相手より得意だったとしても、
失う機会が大きい(機会費用が高い)なら、
やるべきではなく、あくまで


失う機会が小さい(機会費用が安い)ことに
特化して、取引(貿易)した方が良い、


ということ。
そして、もう1つのありがちな誤解は、
発展途上国の人たちに対して搾取だという
間違った印象をもたれがちであること。

たとえば、
服を作るよりも自動車を生産した方が
高い所得が得られるとして、

・日本人は自動車を生産して高い所得を得て、
・発展途上国の人は服を生産して低い所得を得ているので、
・日本は発展途上国の人を搾取している、、、という誤解。

大事なのは、
日本人の方が発展途上国の人より所得が高いか・どうか、
ではなく、


発展途上国の人にとって、服の生産で得られる所得よりも
得な仕事があるか・どうか?


もし、
発展途上国の人にとって、服を作るよりも得な仕事が
あるのであれば、もちろん、わざわざ服を作る必要はない。
もっと得な仕事を選べばいい。

しかし、
それでも、発展途上国の人が服の生産を選んでいる
としたら、それは、自国の他の仕事に比べたら、
服を作る方が所得が良いから。

つまり、
日本人が発展途上国の人たちから
搾取しているのではなく、


発展途上国の人に、より好条件で働く
機会を提供している


まとめると、
『比較優位説』とは、

自国にとって、
「失う機会が小さい」(機会費用が割安)になる
比較優位のものに特化して、取引(貿易)をした方が
両国にとっての富が増える。

結果、
保護政策よりも


自由貿易の方が世界全体の富が最大化する


という
考え方になります。

 

比較優位説とは?簡単に

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎

 

追伸:

→ ブログ読者さんへの無料プレゼント